ドリーム小説





雷蔵は雨が降る庭を部屋から眺めている。同じ部屋では三郎が壁を背に本を読んでいる。雨の音以外は静かである。

一見見たら暇そうな二人であるが、雷蔵は暇だと思っていない。

ずっととある場面を回想しているから。









朝、休みだったために遅い朝食を済ませて三郎と一緒に部屋に戻っていたら、後ろから女子の声で呼ばれた。

「雷蔵、雷蔵」

笑って早歩きでくるのは彼女であるである。三郎が気をきかせて先に行った。

普段見ない私服姿。いつもは簡素に結われている髪が簪を使って綺麗に飾られている。

口には出さないけれど可愛いと思う。ついつい緩みそうになる頬を引き締め、彼女に問うた。


「どこか行くの?」

「あ、うん。ちょっと町まで」

僕の質問はの話の出鼻をくじいてしまったらしい。

は仕切りなおして人懐っこい笑顔を作る。


「そう、町に行くからなんか要るものあったら買ってくるけど、何かある?」

「要るもの?うーん、今は特にないかな。うーん、たぶん大丈夫だよ」

「そう?じゃあいって来るね」

「うん、行ってらっしゃい」


彼女は小さく僕に手を振った。












そう、この場面なのである。彼女はそのまま門の外に出たはずだ。

この時彼女が手にしていたのは小物の入った巾着だけである。つまり彼女は傘を持っていかなかったのだ。

朝は保った空も、昼過ぎには調子付いて雨を景気良く降らせ始めた。


彼女は未だ帰らない。




「あーどうしよう」


傘を届けるべきだろうか。

あの着物は似合っていた。濡らしたくはないだろう。

しかし町に行ってはたして会えるだろうか。僕は彼女がどこを訪ねて行ったのか知らない。

それに傘をもしかしたら気づいて持って行ったかもしれない。

すると僕の行動は無駄になるわけで。

でもが濡れるのはかわいそうだなぁ。





バサッと頭に何かぶつかった。目線を下げるとあるのは本である。

三郎が読んでいるはずの。



「・・・本、投げないでよ」

僕は少し低い声で言うと、本を拾い上げはたいた。

「雷蔵が悩みすぎなんだよ。恋人なんだから傘届けるくらい気軽に行けばいいだろ」

呆れたように三郎は言う。確かに僕が悩んでいることなど三郎にとっては呆れるくらい馬鹿らしいことであろう。

でも届けてそれが必要でなくなった時の微妙な雰囲気を思うと足がすくむ。なんか情けない。




「恋人に迎えに来てもらって喜ばないやつはいない」



至極まっとうな意見に、僕は頷いていた。が迎えに来てくれたら、きっと僕はうれしいから。


スッキリして立ち上がると、手に持っていた本を三郎に返す。

「三郎、悪いんだけど傘貸してくれる?僕一本しか持ってないし」

傘を二本も三本も持っているわけがないのだから、僕の質問はそうおかしいものではなかっただろう。しかし三郎は眉をゆがめた。

「何言ってんだ?お前ら恋仲なんだから傘なんて一本だけで充分だろ」

呆れるように溜息が吐かれる。



折角の機会を利用しようと考えないほど、僕の思考回路は疎いようだ。





















「・・・なんて私は馬鹿なんだろう」

目の前を流れ落ちる雨を眺めてそう呟いた。細かい水しぶきが体に降りかかる。

朝からどんよりとした空模様だったのに、うっかり傘をもってくるのを忘れていた。用を済ませて帰ろうとしたところ雨が降り出したのだ。

幸運だったのは雨宿りできるところがあったこと。並んだ店の屋根を借りて雨を凌いでいる。

しかし雨は今日のうちに止んでくれそうにない。ならば濡れて帰るしかないだろう。

久しぶりに町に出たのでめかし込んだのが失敗だった。お気に入りの着物を濡らすのは悔しい。全ては自分が失念していたためである。


「最悪」


湿った袖をなでながら言う。





「ちょっと、お嬢さん」


そんな私に優しい声がかかった。




















歩けばペチャペチャと草履が濡れる。泥が弾けて裾を汚した。

それでも僕の足取りはどこか浮足立っている。

迎えに来た僕に彼女はどんな様子を見せるだろうか。

不安に濡れて重くなっていた僕の考えも、三郎の言葉で軽くなった。

に会えればそれでいい。それから2人で学園に帰ろう。



会えないってこともあり得るけれど。



どうせだから今度、雨の降っていない晴れた日に、町に買い物に出かけたいな。もちろんと。その時は今日の着物を着てもらおう。

楽しみだな。



町までまだまだあるけれど、この道のりをと歩くのならと考えると長くていい気がする。

この道のりを傘の内で2人寄り添って歩けたら・・・。





「雷蔵?」

「へ?」



正面の道に朱の傘をさした女性がいた。間違いなく、だ。

彼女は雨に濡れていない。


「何でこんなところに?」

「え、あ、その」


は首を傾げ歩いてくる。今の今まで少し自分勝手な想像をしていたことが後ろめたくなってしまった。なんてタイミング・・・。

「あ、の、傘、持って行ってたんだね」

しどろもどろになって答えにならない言葉を返す。

彼女は「ああ」と言って自分の上にある傘を見た。


「持って行ってなかったの。雨宿りしていたお店の方が貸してくださってね。本当、助かっちゃった」


安心したように微笑む

が濡れないのは良かったし、笑っているのだからいいのだろうし。

これから並んで帰られるのは間違いないのだけれど、やはり残念に思う僕がいる。どこかで期待していたのだ。



「そっか、なるほど」

物わかりの良いふりをして僕は頷いた。

はどこか僕がおかしいと思ったか、穴が開くほどほど見つめてくる。

すごく恥ずかしい。耐えられなくて傘をさしていない方の手で口を覆った。

そしては何に対してか、数回頷いた。


チラリと視線が下へ向く。

え、何?



「ねえ、そこのお兄さん」

いつも人懐っこい声で「雷蔵」と呼ぶ声が、急に他人行儀に悩ましげな声を出す。


お兄さん?


振り続ける雨越しに、が僕を見る。

ちょっと表情がこわばっているが、口元は緩んでいる。

「この傘、預かりものなの。だからできるだけ汚したくないんだけど」

すっと、傘の柄を撫でた。傘を少し傾ける。

「この雨でしょう?傘をささないと濡れてしまう」

すっと、自然には微笑んだ。傘を傾けた方に首も傾ける。

「この傘を、汚さない、何かいい方法ないかしら?」

愛らしく問いかけるそれは劇的な口調だ。

自然と僕の口の端も緩む。

僕は少しだけ降りしきる雨の方へ身を寄せた。


「一つだけ方法がありますが」

「あら、何?」


僕が乗れば、は楽しそうに笑う。期待を込めた眼が僕を見る。


「雨にぬれない場所に行けばいいんですよ」

「へえ、どこなの?」

その問いかけに僕は身を横にして答えた。



「ここ」



傘の下に一人分の隙間があく。

はそこを見て、仄かに顔を紅くさせた。


「素敵」


は小さな動作で、傘をたたみながら、僕の横に立った。


「じゃあ、お嬢さん。お家まで送りましょうか?」

「ええ、助かるわ」

反対側が雨で冷たいせいか、がいる側が暖かく感じた。

少し下にあるの顔を見る。

は、距離が近いせいか下を向いている。




「お兄さん」

「なに?」

顔は見えない。しかし、髪を結っているせいで耳が丸見えで、それが真っ赤になっている。

「今度この傘を返しに行くのに付き合ってくれません?」

「ええ」

そんなことならお安い御用。


「それでそのあとに、お礼に甘味でもいかが?」

チラリと熱で潤んだ瞳が僕を見る。

傘を持たなければならないことがひどくもどかしい。

今すぐにこの傘を投げてに触れてしまえればいいのに。

そんな感情を隠して、僕は優しくほほ笑む。




「ええ、もちろん、喜んで」










庶民が傘を使いだすのは江戸時代になってからだそうです。

それまで雨を凌ぐ道具は笠のようです。

室町時代じゃ相合傘できないですね・・・。

時代錯誤な話だなぁ・・・。

江戸時代パロってことで(汗)