「おはようございます、様」
その声に目をパチリと開ける。今日もまた、見慣れた顔。
「おはよう、三郎。今日もやっぱり雷蔵の顔なのね」
普段から変装をするという変わった趣味と特技を兼ね備え持つ執事。
私の言葉に三郎はニッコリと雷蔵らしい笑みを浮かべた。
「はい、様。今日もこの顔です。ご不満ですか?」
「そうね、不満だわ」
鼻であしらう様に言った言葉に三郎は満足そうに笑う。
私を不機嫌にして何が嬉しいのか。
「三郎、服を」
「・・・」
「・・・何?」
服を持ってこい、と手を上げたが三郎が動かないでジッと私を見る。
「そろそろその癖、止めませんか」
何を唐突に。だいたい癖ではない、習慣だ。
「寝るときは服を着ないのが一番健康なのよ。私が健康であることは三郎も嬉しいでしょ?」
「私、男ですよ」
今度は鼻で豪快に笑ってやった。
「よく言うわ。毎朝何も反応しないくせに」
「まあ、見慣れましたし」
その言葉で頭に血が上る。
確かに毎朝見せているが、見慣れたとは。つまり見飽きたと同意。
「よく主人にそんなこと言えるじゃない。なら、止める必要もないでしょう」
「私はいいのですが、様が異性の前といいますか人前で堂々と裸体を晒すことに抵抗がない、それが普段の姿になってしまうといささか心配」
「心配しなくても露出魔にはならないわよ。寝室以外では服脱がない。ほら、さっさと服を持ってきて。風邪をひかせる気?」
「滅相もありません」
三郎は用意されている服を手に取り私のいるベッドまで運ぶ。
「あ、ごめん、その前に下着」
「分かっていますよ」
ほら、平然と運んでくるじゃない。
「後ろ止めましょうか?」
「お願い」
パチンと止まる音がする。
それから手を平行に伸ばすと、質の良いブラウス生地が腕を撫でる。
前ボタンは自分で掛ける。
三郎の顔を見やる。どう見たって、彼と同期の執事の顔。
「不公平だわ」
「唐突ですね」
「私の生まれたままの姿を三郎は見ているくせに、私は三郎の素顔でさえ知らない」
「様が服を着ていてくだされば即座に解決です。お面もかぶりますか?」
それじゃあどっかの変な宗教みたいだ。
「三郎が素顔を見せれば良いだけの話だわ。主人に手間をかけさせる気?」
執事の三郎は顔を歪めた。そりゃそうだ。こんなことを言われては執事の方が動かざるを得ない。
「どうして私の顔にそこまで執着なさるのか存じませんが、早く朝食を召し上がられたほうが良いと思いますよ。今日は予定が詰まっています」
「・・・分かってるわ」
話を逸らしていることは分かっているが、予定が詰まっていることも事実なので潔くベッドから下りた。
私は、ただもっと三郎のことが知りたいだけなのに。
私のことをもっと知ってほしいだけなのに。
三郎は知っていても知らないことにしてしまう。
「ねえ、雷蔵。どうして三郎はあなたの顔をいつも真似ているの?あなたのことが好きなの?」
雷蔵の顔が引きつった。
「そうですね、友人としてなら好かれているかもしれませんね」
「そう」
三郎を部屋から追い出し、雷蔵を部屋に呼んだ。
三郎と同じ顔。見分けなど、私には付かない。
雷蔵だけが、三郎を見分けることができる。自分でない方が三郎だから。
「悔しい」
「は?」
「雷蔵は、三郎の素顔知っているの?」
私の質問に雷蔵は困ったように笑う。
「知っている訳ないですよ。三郎はきっと素顔で自分が三郎であると名乗ることはしないでしょう」
雷蔵はティーカップに紅茶を注ぐ。目の前には、スコーン。
「どうして、自分の顔を知られたくないのかしら」
「それは・・・」
言い淀む雷蔵の顔を見る。
知っているのか、雷蔵は。
「三郎本人に聞かれた方が良いかと」
「三郎が何も答えてくれないだろうから、雷蔵に聞いているの」
「それでも、三郎に聞いていただくしか」
雷蔵には教えられて、私には教えられない。
まさか素顔が驚くほど不細工だからだとか、見たものを石に変えてしまうほどの美青年だからなどではないだろう。
「私は、どんな三郎でも嫌いになったりしないのに」
小声でつぶやいたそれも、二人しかいない部屋ではちゃんと相手の耳に届いていた。
「・・・様」
「三郎」
「はい、何でしょう」
青空の下、ホースからそのまま庭に水撒きをしている三郎に話し掛けた。
水に濡れないように、上着を脱いで袖をまくっている。
「お願いがあるんだけど」
抑揚なく言う。三郎は少し保っていた頬笑みを消した。
「素顔見せろとか止めてくださいよ」
「・・・うん、もういい」
「そうですか。失礼しました。で、お願いって何ですか」
三郎がホッと一瞬、顔を安心したように緩ませた。
その顔に私は罪悪感を持つ。
「素顔は見せなくて良い。ただ、素顔を見せてくれない理由を教えてほしい」
三郎の眉間に皺が寄る。普段きちんとした執事がこんな表情をするとは余程触れてほしくない内容なのだろう。
「何故、そんなことを気にするのですか?」
そんなの答えは一つしかないのに。
「三郎のことが知りたいからよ」
三郎は何も答えず、流れ続ける水を止めるために蛇口に手を伸ばした。
きゅっきゅっとか細い音が鳴る。
水の止まったホースは三郎の手から落ちた。
「私は様の執事で、朝起きて身だしなみを整えた後、あなたの食事の席を用意し、あなたを起こし、食事を召し上がっていただいて、予定の確認、場を用意し、お客様を出迎え、こうして庭の手入れをしている。そんな毎日を送っている男です」
三郎は無表情で淡々と告げる。間違いなく、彼の仕事内容だ。
「そして今はあなたの目の前にいます。これ以外に何を知る必要があると言うのです。間違いなく、ここにいるのは私です。あなたが三郎と言えば私が返事をします」
三郎にとって、私との関係は仕事でしかない。
賃金が支払われるから、彼はこうして私の目の前にいる。
だからこそ、私には分からない。
「三郎、そうじゃないの」
分からないのだ。彼の役目は、執事で、日々の私の生活の世話、という名目にしか給料は支払われない。
「そうじゃないのよ」
それだけでは足りないの。
私が知りたいあなただけど、それは知っている部分だから、知りたい所ではないの。
私は雷蔵から聞いてしまった。
『三郎が素顔を隠しているのは』
『あなたをお守りするためです』
『おそらく、常に僕の顔をしていれば、誰もが僕自身、もしくは双子だと思い、変装とは疑わないでしょう』
『例え何かあって別の変装をしていようと、最終的に素顔がばれようと、三郎があなたと繋がっていることはばれません』
『あなたの身代わりになることもできます』
何かって何?という質問には答えてくれなかった。
ただ、聞かなくても分かってしまう。
受け取った甘い期待と不安。
三郎、私そんなこと頼んでないわ。
身代わりなんてして欲しくない。それは執事の仕事じゃない。
どうしてそんなことをするの?
そう、詰め寄りたい。しかし、三郎から聞いたことではない。
三郎の知らない所でコソコソと嗅ぎ回っていることと、話してくれた雷蔵に申し訳なくて知っていることさえ話せない。
出来ることなら、三郎の口から教えてほしかった。
「様」
俯いていた私に三郎が心配した声で呼ぶ。
「ごめんなさい、気にしないで。もう、いい」
ここにいたところで仕事の邪魔しかできない。
自室に戻り、本でも読もう。
考えないように、最終的に忘れてしまえるように。人の秘密など、人づてに聞くものではなかった。
身を翻し、建物へ体を向ける。
「もしかしたら」
三郎の声が、小さく、まるで一人ごとのような声が届く。
「明朝、あなたの部屋を訪れるのはこの顔ではないかもしれません」
確約ではないそれ。
しかし今まで一度たりともそんな期待さえさせてくれなかった三郎が言った言葉。
期待するなという方が無理だ。
私は振り返らず、明日の朝への期待を胸に持ち自室に戻った。
「おはようございます、様」
いつも同じフレーズで始まる朝。
「おはよう、三郎」
目に飛び込んでくる顔。それに私は顔を歪めて笑った。
「三郎は意地悪だわ」
「はい、ご不満ですか?」
さも嬉しそうに言う三郎。いつもと変わらない笑顔が憎々しい。
「・・・三郎らしいわ。服を」
鼻で笑う様に言うと、三郎は満足したように雷蔵らしくない笑みを浮かべる。
「今日もいつもと変わらず良い朝ですね」