びりー
もしも、なんて言っても仕方がないって言う人がいる。
言っても現実変わるわけじゃないし、もしもなんて理想や想像にすがるだけ空しくなるから。
でも、もしも、もしも、あなたが、私を愛してくれたなら。
「何見てんだ?」
後ろから声をかけられ振り返ると、緑の衣装が目に入る。
座っていた私が気になったんだろう。
「アリの巣」
「楽しいか?」
「結構。アリでも色んなのがいるよ。目的地からまっすぐ巣まで帰るやつ、途中で列から離れて他の所に行く奴、最初から列に混ざらない奴」
「・・・楽しいか?」
眉間にしわを寄せて聞かれると、おかしいと言われているようでちょっと勘に触る。
「楽しいよ。色々いて。人間と一緒」
「アリと人間を一緒にするなよ」
「一緒だよ」
生きているんだもの。
「私はきっと列に入って行っては来てを繰り返すやつだと思う」
「そうか?」
「そうだよ」
引かれた線をそう外れない。顔を上げて難しい顔をした相手を見る。
「それが一番楽だしね」
「へたくそ」
後ろから野次が飛ぶ。
私の手裏剣は板の端をかすって裏側に消えた。
もう一度。
今度はかすりもしなかった。
「下手すぎるだろ」
「うるさいな」
後ろを見ると憮然とした顔がある。
こんな隈がしみ込んだ顔でも許されるんだから男は良いよな。
「勝手に見てるくせに文句言うな」
「言わずにはいられないほどひどい」
確かに自分でもそう思う。
いつもはここまでひどくない。どうしてか今日は調子が悪い。
「手本見せてやる」
「いらない。部屋に帰って寝てなよ」
「ふん」
文次郎は手裏剣を一つ拾うと腕を振って綺麗に的に命中させた。
見事過ぎて当てつけにしか見えない。
「人に当てんなよ」
「あ て ま せ ん」
また鼻を鳴らすと文次郎は忍たま長屋へ歩いて行った。
むかつく。徹夜明けのくせに。
「何してるんだ」
「何だと思う?」
影が差したと思うと文次郎だった。
「こんな廊下で寝てる女の考えなんかわかるか」
「分かってんじゃん」
寝てるんだよ、という言葉はあえて呑み込んだ。
「部屋に帰れ」
「人待ってる」
「もっとましな姿勢で待て」
うるさいから体を起こした。
色々人として非常識な行動をとるくせに、変なところで常識にこだわる。
「誰待ってんだ」
「善方寺」
「は組は今日出かけてるぞ馬鹿」
「あーどーりで誰も通らないと」
「馬鹿だろ」
「もういいよウマシカで」
軽く頭をはたかれた。
「はい、文次郎、これ」
「いらん」
「えー、頑張って作ったのにー」
「気色が悪い」
わざとらしく女ぶってみると顔を歪められた。
「どうせ薬入りだろうが」
「ははは、当たり前じゃん」
文次郎は舌打ちすると、止めていた筆をさらさらと動かす。
「今忙しい。他にいけ」
「仕方ないなぁ、じゃあ善方寺にでもやるか」
「お前妙に伊作と仲がいいな」
「おいおいヤキモチかい?勘弁してくれよ」
「ふざけろよ」
「ふざけた結果がこれですよ」
はあ、と文次郎が溜息をつく。
「お前の相手は時々疲れる」
「私は結構楽しいよ」
にっこり意識的に笑って見せると文次郎は軽く笑って、そうだろうな、と言った。
「文次郎は本当に浮いた話を聞かないね」
目で馬鹿か、と言われた。長いこと付き合いがあると相手が言いたいことが少しわかってしまう。
「先生たちだって結婚している人いるのに、頑なだね」
「俺はまだ未熟だからな」
「成熟したらいいの?」
諌める目に口元を引き上げてこたえる。
「もう文次郎との付き合いも五年目か、長いんだか短いんだが」
「その付き合いもあと一年だな。清々する」
「ひどいな、そっちから話しかけてきたくせに」
「ずいぶん懐かしい話だな」
ふっと文次郎の眼が優しくなった。
「あれ?覚えてるんだ」
「最初からあんな変な奴に会ったのは初めてだった」
「そんなに変じゃないと思うんだけどね」
変だ、馬鹿だと言いながらその話に付き合ってきてくれた癖に。
「私も成長したよね」
「どうだろうな。変わってない可能性もある」
「五年も経って一歩も進歩がないとか泣ける」
笑いながら言うと文次郎は筆を置いた。
作業が終わったのか溜息をついた。
「お疲れ」
「ああ」
眼の下の隈は相変わらず濃い。もう一生消えないんじゃないかと思う。もう文次郎の一部と言っていい。
それももう今日で見おさめだ。
「文次郎、私ね」
「やめろ」
「何を」
私を睨む目が充血している。目の隈と合わせて鬼の形相。
目では語るのに、どうして口には出さないの。
「馬鹿みたい」
彼は苦しんでいる。それは私のせいか、本人のせいか。
障子をあけると、赤々とした光が薄暗い部屋に差し込んだ。
「臆病者」
どうして口にしてくれないの。
あなたから欲しかった言葉は、もうもしもの世界でしか手に入らない。
永遠に心を閉ざした女は白い衣装に身を包む。
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