私と彼の関係はただの同級生で、忍たまとくの一で教室は全く違うから接点もなく、顔を知っている程度だった。
たぶん彼もそう思っている、もしかしたら私の顔を知らないかもしれない。
取り敢えずそんな関わり合いのない生活を送っていた。
「ちょっと」
廊下を歩いていると声を掛けられた。振り向けば久々知君。
大きな目で私を見ている。
「これ、落としたよ」
「え」
久々知君の手には小さな紙の包みが乗っている。
そしてそれは間違いなく私のだ。慌てて普段それを忍ばせている懐を見る。
「ありがとう、全然気が付かなかった」
「どういたしまして」
はい、と私の手にそれをのせて久々知君は何事もなかったように行ってしまった。
私は紙を開いて中身の無事を確認すると、安心して息を吐いた。
「あの!」
私は少し緊張しながら、話しかけた。
立場は逆だけれど、先日と同じように大きな目が私を見る。
「この間はありがとう!これ、大切なものだったから、無くしてたらすごく困ってた」
拾ってもらった紙包みを見せて言う。
しかし久々知君は首を傾げた。覚えていない?
そんなに私の印象は薄いのか、と不安になったところで久々知君は頷いた。
「ああ、思い出した。でもこの間もお礼言ってたよ?」
「いや、あれだけじゃ足りなくて。ごめん」
私が謝ると彼は愛想よく笑った。
「謝ることないのに。それそんなに大事な物なの?中身何?」
「え、あ、これ」
自分の手の中にある物を指さされる。
「これはお守り。いざとなった時、もしかしたら使えるもの」
「こんなに小さいのに何が入ってるの」
紙包みは小指の第一関節と第二関節の間位の大きさだ。
この大きさに入るものとなれば限られてくる。
「これはね、強力な眠り薬。一匙で一日眠り続けるくらいの」
「へ?」
「最近、くの一教室で流行ってるの。薬物をお守り代わりに懐に入れておくの」
説明すると久々知君の顔が引きつった。
もっと言うなら、薬の種類によってはお守りの効果が変わるらしい。
私の持っている眠り薬は幸福、幻覚剤は勉学、痺れ薬は恋愛等々。
実践の潜入でも使える実用的なお守りだ。
ただ願いを叶えるためには、当然お守りをなくしては効果がない。
「くの一教室は変わった物が流行るな」
呆れたような、困ったような笑い方。
愛想笑いではなく、苦笑い。
「さんはお守りとか信じるの?」
久々知君の口からすんなり私が呼ばれた。
名前を知られていたことに少し驚くが、同級生ならば不自然ではない。
「う〜ん、ないよりは心強いかな。結局困った時は神頼みだしね」
「なるほどね」
そう久々知君が微笑む。
話を続けようとしたら、遠くから久々知君を呼ぶ声が聞こえた。
「へ〜すけ〜」
ブンブンと大きく手を左右に振っている忍たまがいる。
久々知君もそれに手を挙げて答えた。
「お〜」
あ。
「じゃあね、さん」
「うん、ありがとうね久々知君」
久々知君は駆け足で行ってしまった。
最後まで彼は私に愛想笑いだった。
友達に呼ばれた時の、答える時の笑顔は愛想笑いじゃなく、もちろん苦笑なんかとも違った。
無理やりの明朗な笑みではなく、自然な綺麗な笑顔。
大きな目が細まり、口元が緩く左右上に持ちあがる。筋が緩まり、柔らかい印象。
「いいなぁ」
無意識に口から言葉が漏れる。
私も、あれが欲しい。
私もああやって笑ってほしい。
大きな目が弧を描くのを正面から見たい。
白い肌に映える薄い唇が緩やかに曲がるのが見たい。
緩んでいると一目見て分かるあの笑顔を、私に向けてほしい。
無性に、欲しい。
砂漠のように乾いた欲求が心を占拠する。
不意に一滴垂らされた水のせいで、今まで要らなかった水が欲しくてたまらない。
後日、彼女は痺れ薬を懐に忍ばせる。