「あ〜、猫、可愛いよ、猫」
ギュッと猫を抱きしめ、少女は言った。メロメロな言葉に対し、猫は遠慮なく少女の顔に猫パンチをお見舞いした。
「本当、は猫好きだよなぁ」
快活に笑いながら生物委員会委員長代理、竹谷八左ヱ門は言う。
その発言に少女は盛大に頷いた。猫が迷惑そうだ。
「大好き。だって可愛いんだもん」
彼女が抱きしめているのは生物委員会が管理する猫の内の一匹である。
時々委員会の邪魔にならない程度に猫とたわむれに来るのが少女の趣味だ。
「そんなに好きなら自分で飼えばいいのに」
「いや、ほら、お金がね、お小遣いがね」
ああ、と竹谷は納得する。
まだ親に養ってもらっている身。お金は自由にできない。
「お〜い」
遠くから声が聞こえた。
目線をそちらへやれば、尾浜勘右衛門が立っていた。手を振っている。
走りながら二人に近づいてきた。
「どうした」
竹谷が餌をやる手を止めて尋ねる。
は座ったまま見上げる。
「に用なんだけど」
勘右衛門の言葉には自分を人差し指で指した。
コクリと勘右衛門が頷く。
「俺とでお使いに行けって先生が。すぐに出たいんだけど、大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
立ち上がり抱えていた猫を小屋の中へ戻す。猫が甘えるように鳴いたので手を振って見せた。
「どこまで行くの?」
「町に届け物。ちょっと持ち物が多いんだ」
「分かった、すぐに準備する。その持ち物どこに置いてある?」
「職員室で預かるから、終わったら職員室に来て」
「うん。じゃあまた後で」
内容を確かめあって二人は駆け足で自分の部屋へ戻った。
「・・・、大丈夫か?」
「平気」
心配して声をかけた勘右衛門。それに笑顔で返す。
しかし彼女の姿は傍から見て平気そうではない。
は今、自分の身の丈より少し小さい荷物を両手でしっかりと抱えている。横幅は彼女のそれより太い。
は同年代の女子と比べて小柄だった。
普通の女子ならば少し重いだろうくらいの荷物も、彼女が持つとリスが蜜柑を持っているような状態に思えるのだ。
そうすると人は手伝ってくれたりするものだが、勘右衛門も今両手にいっぱいの荷物を抱えていた。
「悪いな」
「いや、謝られることじゃないよ。それにこれ見た目ほど重くない」
本当に申し訳なさそうに言う勘右衛門だが、どこにも勘右衛門の非は見当たらない。
は荷物を抱え直すと、スタスタと歩いた。
相手から「御苦労さま」という言葉を貰って、お使いは終了した。
ついでにお団子をお駄賃に貰ったので、行儀が悪いが二人で食べながら歩く。
「そういえばって猫好きなんだろ?」
「うん、大好き」
勘右衛門の質問に即答した。
「兵助の豆腐好きと似てるのかな」
勘右衛門が苦笑する。それには真剣に返す。
「久々知君がどうか知らないけれど、私は猫を愛している。もう将来私は猫という単語と結婚するんじゃないだろうかと思うほど愛している」
「・・・それはどうだろうか」
もしかしたらの猫好きは兵助の豆腐好きに勝るかもしれないと勘右衛門は思ったが、結局どっこいどっこいだと結論を出した。
どちらも変人には変わりない。
は上から二つ目の団子を串から銜え取った。
頬に詰め込む様はリスのようだ。
「は、なんかリスに似てるな」
軽く笑う勘右衛門。は団子を良く噛んで飲み込んだ。
「あ〜、なんかそれ良く言われる。身長小さいから」
少しゲンナリした感じで言葉は出された。眉が軽く下がる。
勘右衛門は首を傾げる。
「女の子ってリスって言われたら喜ばない?」
それにムッとは口を突き出した。
「それは可愛いって言われているからでしょ。私が指されている部分は別のところじゃん」
つまり小さいと。
「いや、そうでもない」
勘右衛門が否定するとは少し驚いた。
可愛いと言ってくれているのだろうか。
「なんか、猫にすら勝てなさそうなところとか」
つまり弱いと。
ときめきは粉々に砕かれた。
「なめるなよ、尾浜!」
びしっと、残り一つの団子が突き刺さった串を勘右衛門に向ける。
「危ない」
勘右衛門が手の平でそれを少し下げさせる。
「こんなでもなぁ、こんなでもなぁ、えっと、あ〜、う〜ん」
続く言葉が出てこない。それに呆れた勘右衛門。
「勢いかよ」
それでまた何かがわき上がる。
「猫には勝てるんだから!」
「ああ、うん、だろうね」
大声を出して言った割に冷静な態度を取られて恥ずかしかった。
照れ隠しに残りの団子を食べた。
橋にかかってから水音がした。
その音につられて水面を見ると小さな物体が動いていた。
それが猫だと認識できた途端、は橋の上から川に飛び込んだ。
橋はさほど高い所にかかっている訳ではないが、川は予想外に深かった。足が届かない。
そのことに少し慌てたが、も水練を受けている。
溺れていたのは子猫で、持ち上げるのに苦労しない重さだった。
「、大丈夫か!?」
「あ、うん。大丈夫」
体を浮かせながら言うが、流れがあるため少し流される。
橋から直接上るのは難しいので、川岸に寄ろうと考えた。
方向転換のつもりで少し潜ることになるが、腕を上げたまま水に少し顔が浸かる。
足をのばし、川底に足を付けた所で足に異変が起きた。
準備運動などしていない足は、いっぱいに伸ばしたことにより攣ったのだ。
かろうじて勢いで水面に顔を出すことができたが、足が動かせないのでまた沈む。手も猫を抱えているので片手しか動かせない。
頭がパニックに陥る。
呼吸しようともがくが、上手く顔を出し続けることができない。
後ろから脇の下に腕が回された。
「俺を掴むなよ」
抱えこまれ顔が浮上する。
声ですぐに勘右衛門だと分かった。腕の熱が水の中でハッキリと分かり安心する。
「ゴホッ、ゲホッ、ご、ごめん、尾浜」
「喋るな。猫抱いてろ」
後ろ向きに引っ張られ、川岸まで辿り着いた。先に勘右衛門が上がり、は猫を置く。
それから勘右衛門に引っ張り上げられた。
足をのばし、座りこむ。
「足攣ったのか」
「うん、ごめん。助かった」
猫がプルプルと水を払った。
は全身、勘右衛門は首から下が濡れている。
「足揉むか?」
「自分でやる」
手を伸ばし、若干痛みの取れた脹脛を揉む。
は少し驚いていた。
『喋るな。猫抱いてろ』
緊急時とはいえ、勘右衛門らしからぬ口調に少しドキリとした。
普段高圧的な部分がないから差が激しい。
「で、この猫どうする」
捕まえている訳でもないのに逃げない所を見ると、行く所がないのかもしれない。
「う〜ん、助けちゃったしなぁ」
助けたことにより情がわく。
まだ濡れている毛と、それにより大きく見える目が庇護欲を掻きたてる。
「・・・飼うか」
手を伸ばすと猫はすんなり触らせた。ミーとか細い声で鳴く。
「飼えるのか?」
「同室は猫嫌いじゃないし、個人的なペットは自分で管理すれば禁止されてないから飼える」
猫を抱え、足の上にのせた。
「あと、キリ丸に良いバイト紹介してもらわなきゃね」
「そうか」
勘右衛門が手を伸ばして猫を撫でた。
「よかったな、お前」
優しい笑みを浮かべる勘右衛門。
すぐに手を離して立ち上がった。
「帰ろう。このままじゃ猫は無事でも俺たちが風邪ひく」
「あ、うん」
違和感の取れた足に力を入れ、立ち上がる。
勘右衛門の隣に並んで、意識すると自分が小さいことを実感した。
また猫がミーと鳴く。
「俺も手伝うよ。面倒見るの」
「本当?」
「拾っちゃったからな」
今度は猫にではなく、に笑みを向けた。
トクリと胸がなる。抱いている猫のものじゃないはずだ。
は慌てて猫に視線を移した。
「そいつ何カ月くらいだろうな」
「あ、どうかな。とりあえず帰ったら竹谷に世話の仕方聞かないと」
「だな」
笑って勘右衛門はまた猫を撫でた。
自然との顔が視界に入る。
「、顔が赤くないか?」
「え、嘘。もう風邪ひいたかな」
「早すぎだろ」
鼻に手を当てて、溜まっていた滴を拭う。
髪の毛の滴もとるようにして、顔を隠すように前髪を引っ張った。
とりあえず結婚するのはやっぱり人間にしよう。
単語よりは頼りになると思う。
ついでに猫好きな人が良い。