「雷ちゃん、雷ちゃん!」
幼馴染の昔の愛称を呼びながら、私は彼の背中に特攻を掛けた。
昔はこうすればよろよろとよろけ、時には私が下敷きにしてしまうこともあったのに、最近は2、3歩前に進むだけだ。つまらん。
「どうしたの、」
「うふふふふふふ、お願いがあるの」
「その笑い方、怖いよ」
めいいっぱい可愛らしく笑ったつもりなのに、雷蔵の受けは良くなかった。
思わず舌打ちしてしまいそうになる。
気を取り直して、おねだり用の笑顔を貼りつける。
「雷ちゃんは〜、好きな女の子とかいる?」
上目使いで聞いてみるが、雷蔵の表情は変わらず微笑んでいる。
「いないよ。本当に今日はどうしたの」
よくぞ聞いてくれました。
「とぉっても素敵なことに、実は私も今好きな人がいません」
エヘっと言ってみるが、雷蔵は首を傾げるだけだ。
これは私の行動が間違っているのか、それとも雷蔵が鈍いのか、どっちだ。
「と、いうわけで課題に付き合って下さい」
「え?」
私は雷蔵の手をギュッと握った。逃がすものですか。
「、どういった課題なのかそろそろ説明してくれない?」
私服に着替えて門の前で待ちあわせと約束を取り付けた私は、それなりに女らしい格好で雷蔵と合流した。
「今町で『恋人限定・紅白団子』というのが発売されているのをご存じですか?」
「知らないけど、何で敬語?」
「今回の課題では、その紅白団子を買ってくる、というものなのです。ちなみに敬語は雰囲気作りです」
「そう。随分変わった課題だね」
「ちなみにお団子を作っているのはくの一教室の3年生です。これは料理の実習の一環」
「普通にお団子買えないの?」
「恋人限定ですから。団子を作っているのはくの一教室だけど、売っているのは学園外の人なの。その人に恋人としておかしくない、と思われればお団子を売ってもらえるらしい」
ポカンとしていた雷蔵が、困ったように笑った。
「変なの」
「まあ、恋人ができた時の予行練習だと思って付き合って」
巻き込んでしまって申し訳ないと思う。
雷蔵はニッコリ笑った。
「付き合うよ」
これは私の課題のはずなのに、今私は雷蔵に手を引かれている。
恋人としては男が前を歩くのは普通なんだけれど、手を繋ぐのは普通なんだけれど、本来私たちは恋人ではない。
雷蔵に頼んだのも幼馴染の私たちであれば普段のノリでも課題達成だと思って頼んだのであって、ここまで雷蔵がなりきってくれるとは思わなかった。
ちなみに他のくの一たちは後腐れなくていいから、と町で適当に相手を見繕う子が多い。
「団子屋ってあれでいいの?」
立ち止まって雷蔵が指さす所はまさに団子屋。紅白団子の幟もある。
「そうそう、あれ。上手くいきますように」
雷蔵に片方は握られているから、片手で拝んでみた。
隣からクスリと笑い声が聞こえた。
「課題なんだから一生懸命になるのは仕方ないと思うの」
「うん、この間家に帰った時におばさん、の成績で嘆いていたよね」
くそっ、成績優秀者め。
「肩でも抱こうか?」
ん?と聞いてくる。
アナタダレデスカ?
「初々しい恋人同士の設定なので、手だけで十分」
「ははっ」
ハッキリ拒否した答えに雷蔵は愉快そうに笑った。
手がギュッと握られる。
「行こうか」
「うん」
団子は無事に買えた。
せっかく町に来たのですぐに帰るのは惜しいと、二人でブラブラすることにした。
といっても、お互いに見たいものを見て、話したい時に話して、なんて適当なもので恋人のふりをしていたからって甘い雰囲気はない。
何か面白い物はないだろうか、と辺りを見回していると青色の手拭いが目に入った。良い色。
店に入り、手に取ってみる。質も良い。値が張るかもしれない。
自分の財布に入っているお金を思い浮かべる。買える値段ならば買ってしまおう。
奥にいた店主に聞くと、想像していた値段の2分の1程度。予想以上の安値に自分は目利きじゃないと思った。
外に出る。そういえば、雷蔵がいない。
「あ〜、はぐれちゃったか」
そう言えば店に入る時雷蔵に一声かけるのを忘れていた。
自分の失態にまいる。雷蔵が探していたら申し訳ないな。
下手に動かない方が良いかもしれない。
店先で勝手に待たせて貰おうと入口の端に寄ったら、隣に男の人がきた。
「こんにちは」
「・・・こんにちは」
挨拶をされたから返してみる。知り合いじゃないはずだ。
「今お暇ですか?」
ニッコリ笑う相手。無碍にし難い。
合わせて愛想よく笑って見せた。
「連れがいますので」
「そうですか、いらっしゃらないように見えたので。はぐれられたんですか?」
「ええ、ちょっと」
暇じゃないって言っているのだから、どこかへ行って欲しい。
「良かったら一緒に探しましょうか」
「ここにいたら迎えに来てくれると思うんでいいで」
最後の一文字を言おうとしたところで後ろから肩を引かれた。
「すみません、僕の連れなので」
雷蔵は笑顔で相手を突き放すと、私の腕を握って引きずるように歩き始めた。
「雷蔵!ちょっと、痛い!」
いつもなら私が抗議すれば雷蔵はすぐに笑顔で謝ってくれるのに、今は振り向きもしない。
怒っている?
雷蔵は細い道に入る。私を道より奥へやると、雷蔵は腕を組んだ。
「」
怒ってる。
「ごめん、勝手にはぐれて」
「そうだね、一声欲しかったよ」
謝ったが、雷蔵の機嫌は直らない。
「僕が心配したの分かるよね?」
「ごめん」
どう考えても私が悪いので謝り倒すしかない。
「に何かあったら僕はおばさんたちに顔向けできないよ」
「ごめん」
雷蔵はあからさまなため息を吐いた。珍しい。いつもなら「分かった?」と確認して終わるところなのに。
「しかも変な男にまで絡まれて。注意力の欠如」
「え、それ関係ないでしょ」
私に非のない所を指されても困る。
「の警戒心が低いんじゃない?警戒してれば男は寄って来ないよ」
「いや、普段から警戒心むき出しの人はどうかと」
そう返した所で雷蔵の眉間に皺が寄る。
「」
いつも優しい声が、今はとても低くて重い。
何をそんなに怒っているのか、分からない。
二の腕が掴まれた。痛いほどじゃないけど、圧迫感がある。
「簡単に男に笑顔を振りまくもんじゃないよ」
低い声で続けられる。本当に今、私の目の前にいるのはあの雷蔵だろうか。
雷蔵の友達の千の顔を持つ男じゃなくて?
私がそんなに悪いことをした?私の過失は、雷蔵に一言声をかけなかったことだけだ。
「愛想笑いでしょ。それくらい」
「ああいう男に愛想なんて振りまく必要なんてない。何考えてるの」
布越しに雷蔵の体温が伝わる。
腕を引いても全く動かない。
いつもどうってことない雷蔵の怒りが怖い。
「ももう年頃なんだから、自覚して慎みを持って行動して」
「年頃って」
雷蔵はため息を吐くと仕方なさそうに笑った。
「僕はのこときょうだいみたいに思っているから、悪い虫が付くのは見ていられない。心配しているんだよ」
「なに、それ」
二の腕から手が移動して、頭を撫でられる。
いつもなら髪が乱れると言って手を振り払うのに、出来ない。
逆光になった雷蔵の顔が大人のようで、まるで自分の知らない人のようだ。
まるで男の人のようだ。
「でも、ちゃんとした男だったらおじさん達を説得するの手伝うよ」
「・・・雷ちゃん」
顔の近くにある、雷蔵の袖を掴む。
「雷ちゃんは、雷蔵なんだね」
「え?」
雷ちゃん。幼い頃呼んだ愛称。
可愛らしい笑顔の似合う彼の呼び名。
でも今、目の前の人は雷蔵という男の名前の似合う人。
「雷蔵。雷蔵に良い人が出来たら・・・」
雷蔵に寄りそう影が見える。
嫌だ。そんなの嫌だ。
「そしたら、私に紹介してね。協力するから」
「うん、ありがとう」
努めて明るく言ったつもりだ。
どうしてだろう、すごく嫌だ。
私以外の人が、女が雷蔵に近づくのは嫌だ。
暗く陰鬱な感覚が胸に渦巻く。
「あ、これ」
手に持っていた包み。先ほど購入した手拭い。
「今日付き合ってもらったお礼」
「え、悪いよ」
「大したものじゃないんだから受け取ってよ。きょうだいみたいなものなんでしょ、私ら」
雷蔵が言った言葉を使って包みを雷蔵に押し付けた。
「あ、ちなみに私がお姉ちゃんよね?」
「は妹に決まってるでしょ」
「え〜」
雷蔵は受け取った包みを見て、雷ちゃんの似合う笑顔を纏う。
「ありがとう、」
でもその声はもう雷ちゃんの声じゃない。
いつの間に、声は変わったのだろう。一緒に学園にいたはずなのに、覚えていない。
見てきたのに、知らない間に知らない人になろうとしている。
それが酷く寂しく感じた。
「じゃあ、帰ろうか」
「そうだね、帰ろう」
もう手を握って帰ることはしない。
昔は一緒に手を繋いで駆け回っていたのに。
寂しい。
変化にそればかりを感じる。
自分で自分の手を一度握りしめ、雷蔵に続いた。
きょうだいという枠組みから抜けたくなるまであと少し。