ドリーム小説
すっかり日が暮れて、多くの生徒が食堂へ向かった頃、は手裏剣の的を前に汗を拭っていた。
五年生という高学年になったというのに、今度手裏剣の試験が行われるのだ。
もちろん、下級生のように堂々と的が置いてあるものではなく、的が障害物の後ろにあったり、木に吊るされていたりと難易度は高い。
の手裏剣の腕前は人並みだ。可もなく不可もなく。故に練習が不可欠だ。
「ふぅ」
今日は三日月が出ているので、真っ暗ではないが、やはり薄暗い。
離れているため、的も見えにくい。ここら辺にしておくか。
は投げた手裏剣を集め始めた。
刃で指を切らないように丁寧に箱に詰める。
あの実習から一カ月が経った。
変わったことと言えば、八左ヱ門と名前で呼び合うようになったことと、約束を取り付けて会うようになったこと、それから日頃から少し化粧をするようになったこと。
は自分の平均より力があることや、背が高いことをまだ気にしている。
人と違いがあるのは普通のことなのに、まだそれに気づけるほど彼女は成長していないのだ。
手裏剣の箱を持ち上げては顔を歪めた。
重いからではない。重くないから辛いのだ。平均的な女の子であったのなら、それを持って歩くどころか、持ち上げることさえ困難な箱を軽々と持ってしまえる自分は女らしくないのだと、思い込むのだ。
くの一教室で男役として働いていたことが、彼女の女としての自信を喪失させた。八左ヱ門という恋人ができた今でもそれは取り戻せないままだ。むしろ不安が増えた。このままでいれば、八左ヱ門に愛想を尽かされるのではないか、と。
しかしは「女の子らしく」とはどうすればいいか分からなかった。
とりあえず、見かけだけはそれらしくしてみたものの、今までほとんど自主的にしなかったせいか、には化粧が浮いて見えた。
友人の勧めから、少し目に色を入れる、口紅に薄く紅を塗る程度でとどめている。
しかし、くの一としてこの現状は如何なものか。
もう少し、友人にならって身なりを整えようと思うこの頃である。
歩くたびに箱の中からカシャカシャと小さく金属が擦れる音がする。用具倉庫に着いたならもう一度整えなおした方が良さそうだ。
面倒なことが増えて、ため息を一つ出す。
「どうしたんだ?」
「ふわっ!!」
は後ろからかけられた声に驚く。誰もいないと思っていたのに。
「わ、悪い。驚かせるつもりじゃ」
「あ、ううん。八左ヱ門君、こんなところで何してるの?」
訓練場から用具倉庫までの道のりだ。この時間帯、人通りは多くない。
彼に会えたことはすごく嬉しいけれど、一体何をしていたのかと疑問は起こる。
「あ、いや、そのだな」
八左ヱ門は頬を掻いた。照れた様子にはほほ笑む。可愛い、と。
「食堂に言ったけど、の姿がないから、その、どうかしたのかって」
「・・・」
の胸がジンとする。好きな人に気にしてもらえることがこの上なく嬉しい。
「お前の友達に聞いたら、手裏剣の練習してるって聞いたから」
「来てくれたんだ?」
は首を傾げて八左ヱ門を見上げた。八左ヱ門は誤魔化すために少し困った笑いを浮かべた。
「まぁな」
「ありがと」
自然と笑みがこぼれる。八左ヱ門は誤魔化しきれなかったのか、目線を逸らした。
「あ〜、それで俺まだ飯食ってないから、一緒に食わないか?」
「うん、食べたい」
八左ヱ門は一度食堂へ行ったのだ。それなのに、がいなかったから食べるのを止めて迎えに来た。それがは分かるから、どうしようもなく幸せを感じる。
「これ返し終えたら食堂に行くから。少し時間かかるかもしれないけど」
申し訳なさそうには言う。
その箱を持ち上げられて、八左ヱ門は初めてそれの存在に気付いた。
「なんだ、それ」
「手裏剣が入ってる箱」
動かすとまたカシャといった。
八左ヱ門が手をに差し出した。
「それ、持つよ。一緒食堂行こうぜ」
持つ?
今まで誰かの代わりに物を持った経験はあっても、誰かに持ってもらう経験のない。
意外なことに戸惑う。
「いや、別に重くないし、大丈夫だよ」
実際に運べる程度の重さだ。自分で運べる程度なのだから、代わってもらう訳にはいかない。
首を振ったから、八左ヱ門は伸ばした手で箱を奪った。
「ちょっとぐらい、格好つけさせてくれ」
ボソリと言うと、八左ヱ門はに背を向けて歩き出す。
「え?え?」
八左ヱ門の発言はに届いたが、理解ができなかった。
なぜならにとって八左ヱ門は格好良くしか見えないから。
暗がりに進んでいく八左ヱ門の後ろを慌てて追う。
暗くて、は八左ヱ門の耳が真っ赤なことに気づかない。
「あの、八左ヱ門君。さっきのはどういう」
「・・・聞くなよ」
八左ヱ門は項垂れた。彼にとっては、今の発言も格好悪いことなのだ。
「あ〜もう、恥ずかしい。俺、何やってんだろ」
「は、恥ずかしいことないと思う。というか、その、八左ヱ門君は、いつもカッコいいよ」
「には格好悪いとこ見せてばっかだろ。実習とか、さ」
実習とはあの障害物マラソンのことだろう。八左ヱ門は罠で頭を打ち、一時気を失った。
「でも、あれは罠が罠だし」
「それでも、には良いとこ見せたいんだ。・・・こういうこと言ってる時点でカッコ悪いよな」
ハハっと八左ヱ門は笑うが、当然は笑わない。八左ヱ門の横に並び、話しだした。
「あのね、私、自分が女らしくないなって思うの」
がそういうと、八左ヱ門は眉間に皺を寄せた。
「前も言ったけど、俺はは女らしいと思う」
「うん、あの時は嬉しかった」
は思い出すように目を閉じる。そうすれば自然と頬が緩む。
目を開けて、八左ヱ門を見て言う。
「竹谷君が自分のこと格好悪いって言うのと一緒。私は八左ヱ門君が格好悪いなんて思わない。例えカッコ悪かったとしても、八左ヱ門君が好きだよ」
ジッと八左ヱ門を見るが、熱がせり上がってくるのは抑えられない。顔が熱いのを必死我慢して八左ヱ門の目を見る。
「・・・俺も、が女らしくなくても好きだ」
伝わった。八左ヱ門は言ったことが恥ずかしいのか視線を下げる。利き腕とは反対の手で口を覆った。
「」
八左ヱ門は口に当てた手を離してに差し出した。
「手、繋がないか」
八左ヱ門が片手で箱を持っていることに驚く。女として力持ちのでさえ両手を必要としたのだが、八左ヱ門は特に苦も無く持ってしまう。
はその手を握った。は嬉しそうに笑う。
「私、八左ヱ門君の前だけだったら女の子でいられるかも」
女らしいと言ってくれたり、荷物を持ってくれたり、男の子だと意識させたり。
八左ヱ門といるとはか弱い女の子になった気になる。
八左ヱ門は繋いだ手で、横にいるをもっと側へ引き寄せた。
「俺も、が俺を頼ってくれたら格好良いって思えるかも」
きゅっと力を込めて握られる。
「もっと格好良くなりたいからもっと頼ってくれ。それでできるなら」
言葉が途切れてどうしたのかとは八左ヱ門を見上げると、八左ヱ門の目はを見ていた。目が重なる。
「俺は、ずっと格好良くいたいから、ずっとそばにいてくれ」
まるでプロポーズのような言葉に、の胸がはじけるように一度強くなる。それから段々と早鐘のように脈を打ちだした。
「うん」
そう答えるので精一杯だ。でもやはり物足りなさを感じて、手を強く握り返した。
彼の手は大きくて、カサカサ。でもすごく温かい。
私とは違う、男の子。