、ちょっと手伝ってくれ」

放課後、何気なく生物委員会の管理する虫部屋の前を通りがかったらボサ髪委員長代理に見事に掴まってしまった。

「え〜」

迷わず不満な声を出す私に竹谷は苦笑する。

「頼む。大変なんだよ」

手を拝むようにして頼んでくる。本当に困っているんだろうし、知らない仲じゃない人に頼まれれば、自然と心は手伝う方向へ転がる。

私はため息をつきながら仕方なく了承した。



「虫の世話じゃないの?」

「虫の世話が良いのか?」

「嫌です」

私が連れられたのは、なんと狼の小屋。

何でも暑い日が続いて、汗のせいで皮膚炎になりかけているらしい。

「水で洗って、その後毛づくろいして薬塗るから」

「はいはい」

学園の狼は躾されており、人にも慣れているため怖がる必要はない。

ちなみに洗うのに使うのは食堂のおばちゃんから貰ってきた米のとぎ汁。

ゴワゴワとした毛並みが濡れるとペタンとしぼんで、狼が小さく見えた。

毛並みが良いとは言えないので、上手く指が通らない。

あと付け足すなら、暑くて獣臭さが2割増し。ちょっと辛い。

「悪いな、手伝ってもらって」

「いいよいいよ、乗りかかった船だよ」

ハハハハハとわざと乾いた笑いを出してみる。

「悪かったって!今度なんか奢るよ」

「よしきた!」

催促したつもりはなかったが、もらえるものは貰う。遠慮なんかするもんかい。



張りきった結果、数の多くない狼洗濯は意外と早く終わってしまった。

最後の一匹に竹谷が薬を塗って、ヨシ、と狼の首をワシャワシャと撫でる。

狼も嬉しそうに目を細める。可愛いなぁ。

竹谷は立ちあがり、狼小屋を閉め、鍵をかけた。

「汚れちまったな」

困った台詞なのに、竹谷は楽しそうに言う。

犬の毛や洗った時の水で私も竹谷も着ている物がグチョグチョだ。

「気持ち悪い」

着物を摘んで自分の体から離す。

洗濯する以外に道はない。風呂はまだ開いていないだろう。

「井戸で流すか?」

竹谷の提案に賛成、と手を挙げた。



「あ〜、暑かったなぁ」

井戸に着くと竹谷は我慢しきれないように言った。

「っていうか、まだ暑い」

日陰に移動した訳ではないので、涼しくなったわけではない。

私の発言に竹谷は「だな」と笑って、袴の紐を緩めた。

・・・え?

「ちょ、ちょ、竹谷あんた何してんの!?」

「は?」

焦っている私に困惑したような目を向ける。

竹谷は緩められたところから半着を抜き出すと、最初と同じように紐を結んだ。

水を吸った半着は少し重たそうに竹谷の肩から腕を伝い落ちる。

竹谷の上半身は腹掛だけ。

「気持ち悪いから脱いだだけだよ。そんなに大声出すことじゃないだろ?」

竹谷は苦笑するが、焦ってドキドキと鳴った胸が治まらない。

焦ったことでまるで自分がそれを期待していたかのように見えるのが心外だった。

「私は女なのよ!軽々しく脱がないで!」

「え、って女だったっけ?」

そんなおどけた反応に腹が立ってガスガスと竹谷のふくらはぎを蹴る。

「いって、痛いって、おい」

「竹谷がそんなこと言う子だとは思いませんでした!二度と手伝ってやらない!」

フンと顔を背けて井戸から離れようとすると、肩布を軽く掴まれた。

「悪い悪い、分かってるって。お前が女じゃなかったら俺は褌いっちょになってるよ」

「・・・男だけでも井戸の前では勘弁してよ」

井戸はくの一も使うのだ。そんな所で褌だけでいる男がいたら近づけない上に気まずい。

竹谷は井戸から水をくみ上げると、頭から水を被った。

まるで火の中に飛び込んでいく準備のようだ。

「豪快だね」

「どうせ袴も濡れて汚れちまってるからな。洗濯洗濯」

全身丸洗いとは、先ほどの狼のようだ。

毛並みが良くないのも共通点。

腹掛だから背中は丸見えで、普段隠れている二の腕や肩も露わだ。

それを見ていると何故かドキドキしてしまう。

竹谷はおそらく五年の忍たまの中でもガッチリしている方だろう。

滑車の紐を引く時に二の腕が引き締まる。

腹掛は水で濡れていて、体の線がハッキリと見える。

心拍数が、上がる。

「ふぅ」

竹谷は桶を置くと、水が滴っている顎のあたりを手の甲で拭った。

その時、目が細くなっていて、一段と大きく私の心臓が跳ねあがる。

体の熱がすでに日差しのせいでないことは火を見るより明らかだ。

髪の毛から滴る水が落ち、背中を伝い袴に吸い込まれる。

面倒くさそうに前髪をかき上げる仕草が、どうしようもなく色っぽい。

竹谷はもう一度桶を井戸の中に放り込んだ。

桶を引き上げる二の腕が男らしさを見せつける。

竹谷の一つ一つの行動に呆けている私に何かが襲いかかった。

それはバチャンと音を立てて私をすり抜けた。冷たい。

竹谷の豪快な笑い声が聞こえる。

「ぼ〜っと突っ立ってる方が悪いんだからな」

子どもの悪戯のように桶をこちらに向けて楽しそうに笑う。

それさえも、胸を締め付けた。

「た」

「早くこっち来いよ。水汲んでやるから」

「竹谷の馬鹿!色魔!!」

耐えられなくなって、私は恥ずかしさを発散するように叫んで逃げた。

「あ、え、色魔?」

竹谷の声が聞こえるが、それどころじゃない。

「何これ何これ何これ何これ」

走りながら呪文のように吐き出す。

しかし呪文は私に効いているようで混乱が解けない。

胸が騒がしい。

水を掛けられたはずなのに、その水を蒸発させてしまうんじゃないかと思うくらい体が熱い。

竹谷の笑顔や笑い声や二の腕や背中が、頭から離れない。

今度は呪文が「ないないないない」に変わったが、体の異常は止まってくれない。

頭の中では呪文を叫ぶことにより、「ない」じゃないことに少し気が付き始めていた。