ドリーム小説


「ねえ、八左ヱ門。この世界が終る時も、きっとあなたはそうやって動物に囲まれて迎えるんだろうね」



ただのやり取りだと思った。暇つぶしの会話だと。
だから俺は彼女に眼を向けることもなく犬をなでていた。
そして俺は言った。


「そうかもな」


その時、彼女がどんな顔をしていたかなんて、俺には予想もつかない。



ただ、俺の言葉は彼女がいたからこそ出た言葉なのだと今、実感する。
俺は彼女が俺から離れていくなんてことを考えたこともなかったんだ。



俺が異変に気づいたのは、変化が始まって四日目だった。
一日に一度も彼女に会わなくなったのだ。それでも俺はのん気だった。
お使いに行っているのだろうと誰にも聞かず勝手に思い込んだ。

一週間経って、やっと俺は彼女の一番親しい友人に話を聞くことにした。
俺がその子を訪ねると、軽蔑された目で見られた。憎悪も含まれている。



「遅くない?」



いきなりそう言われて俺は何のことか全く分からなかった。
俺の様子に相手は眉間に皺をよせ溜息を吐く。

「あの子の気持ちがわかるわ」


はどうしたんだ?」

今度は睨まれた。相手の口が小さく開く。



「やめたわよ」


「え」

とても冷たい声だった。

「辞めたって言ったの、一週間前にね」

一週間前、彼女と会わなくなった日だ。その前日、彼女はどんな様子だった?何か言わなかったか?思い出せない。
彼女と会ったのは覚えている。でも、何を話したのか記憶にない。


「あの子ね」


俺はあいつに何と言った?


「結婚するの」


あいつは俺に何を言った?





 話によると、の家は小さな店をやっているらしい。彼女は家の次女で、店は長女である彼女の姉が継ぐことになっていた。
そういう理由で彼女は自分で生きていく術を身につけるために学園に入学した。
しかし休みに家に帰った時に、彼女の家より大きな商家の若旦那にみそめられた。
両親は大喜びし、彼女は結婚することになった。家のために。


「あんたに期待していたのに」



俺が引きとめたらおまえは俺を選んでくれたか?




の家は学園からそう遠くない町にあった。入口が広い小さく落ち着いた店は小間物屋らしい。
もし彼女が一緒にいたならば、入るのにこんなに戸惑うことはなかっただろう。
小間物屋は男にとって入るのが難しい場所だ。

しかし今回俺は買い物をしに来たわけではない。
彼女に会いに来たのだから、恥じる必要などない。
俺は腹をきめて、あまり人のいない店に入った。



「いらっしゃい」

おそらくの姉であろう若い女性が店にいた。
優しそうな彼女に少しホッとする。

「あの、さんいらっしゃいますか」

俺の言葉に彼女のほほ笑みは消えた。

「どちら様ですか」

「彼女の同級生で竹谷八左ヱ門と申します」


相手は頷くと「ちょっと待ってください」と言って奥に引っ込んだ。



待っている間、手持無沙汰なので俺はキョロキョロと店の中を見渡した。


―俺は彼女に会ってどうするんだ?
 起こるか?
 泣くか?
 罵るか?



 それとも笑って別れを告げるのか?



奥から人が出てきた。
ではなく、彼女の姉だった。


「裏手の川にいると思います」

「そうですか」

俺は頭を下げて店を出た。







彼女の姉が言ったとおり、は裏手の河原にいた。何をするわけでもなく、ただ立っている。

俺が名前を呼ぶと、彼女はビクリと肩を動かした。
ゆっくりと顔がこちらを向く。


「何でいるの?」

「おまえが何も言わないからだ」

彼女にむかって歩くと、彼女は顔を伏せた。俺の脚が彼女に行き着く前に止まる。

「怒った?」
「・・・」

親の顔色を窺うような声を出す。彼女は俺を恐れているのか?


「怒ってない、悲しかったけど。俺はお前が何を思っているかとか、考えているかとか理解できてない。
でも俺に話せない何かがあったんだって思った」


彼女の伏せた眼が、こちらを窺い見る。

「私が『世界が終る時、八左ヱ門は動物に囲まれているんだろうね』って言ったの覚えてる?」

そういえば、彼女と会わなくなった何日か前にそんな話をした気がする。

「ああ」

「八左ヱ門はその時『そうかもな』って言ったの」

「うん」

彼女が両手で顔を覆った。

「私ね、私はあなたに必要じゃないと思ったの」

「うん」

「すごく、さみしかった」



俺は彼女に歩み寄る。目の前にくると、彼女を抱きこんだ。


「俺な、おまえが俺の傍にいないなんて考えもしなかった」

が俺の肩に頭を預けた。


「俺はお前がいなかったら世界の終わりなんて迎えられない」


腕に力が入る。



「おまえがいないと、その前に死んじまう」


彼女の手が背中に回ったのがわかった。



しばらく、そのままでいた。










「ごめん、もう、帰る」

彼女の手が背から離れて、俺の胸を押した。

「俺、おまえを離したくない」

「うん、ありがとう」

彼女の手を握る。

「今晩、迎えに来る」

彼女の目を見る。


「逃げよう、一緒に」


途端、彼女の顔が歪む。


「嫌だ」


「・・・何で」

「逃げてどうするの?あなたは帰らなきゃいけない場所があるでしょ」

彼女は俺の家族や友人を言うのだろう。

「おまえがいるなら構わない」

「構うわよ。私は絶対にいや」

彼女は俺の胸を強く叩いた。手が離れると、走り出した。
着物の彼女を捕まえるのは簡単だけど、俺は追わなかった。
彼女に対して声を出す。離れた彼女に届くように。



「今晩だからな!!!」









私は家に帰ってすぐ、姉に泣きついた。

「お姉ちゃん、どうしよう!!!」

姉の目が見開いた。







夜が来るまで街の中を適当にブラブラしていた。
頭の中ではずっと算段を考える。








夜。


生憎三日月だったが、相手は素人。大丈夫だ。
彼女の家の屋根裏に忍び込むとは、まるで夜這いだ、などと馬鹿なことを思う。
チラチラと見回って彼女の部屋を見つけた。家の一番北側だ。





小さな声で名前を呼ぶ。彼女は不安そうに上を見た。
板をはずし、下へ降りる。



「準備はできてるか?」

彼女は唇をかみしめる。
首を横に振った。


「悪いけど、俺はお前が望まなくてもさらっていくつもりだ」

「あなた、私以外を失ってどうするの。かけがえのないものでしょう」

「かけがえのないものを失ってでも、おまえだけは失いたくないんだ」

また、を抱きしめようとすると、襖が開いた。
女性が立っている。


「今晩は」

の姉だ。

「この子連れて行くの、明日にしてくれないかしら」

俺に向かって言葉が投げかけられた。意外だった。侵入したことに対して咎められると思ったのに。

「明日の夜、本当にこの子を連れていくなら明日の夜にして。今日はやめて」

「なぜですか」

彼女の姉は、店を継ぐからには店びいきなはず。今回の件で、そう信じられるものじゃない。

「出かける準備ができてないからよ。一生戻ってくる家をなくすためには、普通の準備じゃダメでしょう」

「なぜあなたが言うんですか」

「かわいい、妹のためだから」

薄くほほ笑むその人は、俺にはつかみきれない。

「大丈夫、明日結婚するわけじゃない。迎えに来るなら明日にして。明日だったら準備ができてるから」

この姉は味方か?俺は目でに尋ねた。の眉が下がって、切ない表情をつくる。

「ごめんね、八左ヱ門。お願いだから、明日の晩まで待って」

の弱々しい声に俺は頷くしかなかった。

「明日、必ず迎えにくるからな」

俺はそう言って部屋を出た。









一室に四人の人間がいる。
一人は、一人は姉、残り二人は父母である。と父が向かい合い、姉は側、母は父側に座っている。

父が一度咳払いをした。

「で、話とはなんだ」

父が厳しい声で言った。は背筋を伸ばし、ひざに置いた手を握り締めた。

「結婚の話をなかったことにしてください」

父の眉間にしわがよる。

「なにを馬鹿なことを」

「冗談で言ってるんじゃないんです!私、結婚はできません」

父は立ち上がるとに近づき、平手での頬を打った。

「私が決めたことだ!!口ごたえするんじゃない!」

は痛む頬に手を当てて父を見た。

「私、お付き合いしている人がいるの!私はその人と生きたいし、その人もそう思ってくれている!」

また父が手をあげる。それを母が止めた。

「あなた、落ち着いてください。話をちゃんと聞いて」

「黙っとれ!!」

声を荒げる父に母は本当に黙ってしまった。

、お前何を言っているのかわかってるのか」

「わかってます。あの人は全てを捨ててでも私と逃げてくれると言ってくれました」

父を見上げて言う。



「でも、私は好きな人に何かを捨てさせる女になりたくない」



強い目で言う。

姉が座ったまま前に出た。

「いいじゃない、お父さん。別に武家じゃないんだから断ってもお家お取り潰しとかないんですよ?
店のことなら、私があんな店よりも大きくしてみせますよ」


ムッと父が口を閉じた。少しすると顔を顰めた。


「勝手にしなさい」


父は大きな足音をたてて、部屋を出て行った。

残った母が父の出て行った方を向いて言った。

「勘違いするんじゃないですよ。
あの人はお店のことじゃなく、ができるだけ先に苦労をしないでいいようにこの縁談を受けたんですから」


「はい」



「迎えに来た意味なかったな」

また忍んできた八左ヱ門から気の抜けた声が出た。

「ううん、もしお父さんが許してくれなかったら八左ヱ門と逃げてたよ」

八左ヱ門が向かい合っての指先を握った。

「また、学園に戻れるのか?」

「一回辞めちゃったから復学はできないよ。これからは店の手伝いをするの」

指を絡める。


「あのさ、結婚しようか」


の目が八左ヱ門を窺う。

「もちろん、今すぐじゃないけどさ。俺が卒業したら。必ず、今度はちゃんと正面から迎えに来るから」

八左ヱ門の顔が真っ赤に染まった。


「そしたら、俺と祝言挙げてくれないか」


は八左ヱ門の腕をたどり、胸に寄り添った。

「うん、それなら私、あなたといたいわ」

ギュッと八左ヱ門の腕がを抱く。





「ああ、一緒にいよう。この世界が終っても」