「おはよう・・・」
「ああ、勘右衛・・も、ん」
たぶんおはようと返してくれる気だったのだろう。
少し笑いながら振りかえった八左ヱ門は俺の顔を見ると固まった。
無理もない。俺だって、分かっていたはずなのに朝起きて鏡で自分の顔を見て驚いたし、昨日、同室の兵助も俺が返ってきたときに酷く驚いた顔をしていた。
俺がどんな顔をしているかって?
おでこに青あざ、両目は腫れ、頬には細い切り傷だ。
「お前、それ・・・だよな」
言葉に出さないが通じる。俺は素直に頷いた。
八左ヱ門の顔が引きつる。
俺は最近、生傷絶えない。
何故って、原因何て一つしかない。
くの一教室一年、。
最初は仲良くできると思ったのに、知り合って暫くすると彼女は大変な意地悪になったのだ。俺だけに。
昨日は本当に、本当に、辛かったんだ。
俺は先生に言われて、縄梯子を用具倉庫に返しに行った帰りだった。
先の木に変なものがぶら下がっているのを見つけたのだ。
近づいて見てみると、それは木札で「引っ張ってください」と書いてあり、その横には俺にも手が届く長さの縄が下りていた。
怪しい。見てすぐに分かったんだ。間違いなく怪しい。
こういうものには触らないで見なかったふりをするのが良いんだ。触らぬ神に祟りなし。
ウンウンと頷きながら、不思議と俺の手は縄に伸びていた。
人間、好奇心に抗うのは難しい。
ドキドキしながら、縄に手を伸ばす。ギュッと握って、木札に書いてある通り下にグッと引いた。
しかし何も起こらない。拍子抜けして、俺は教室に戻るため振りかえった。
目の前に危険が迫っていた。
気付いた時にはすでに手遅れで、俺は見事に罠にかかったのだ。
どんな罠か?細身の丸太がおでこを直撃したんだ。
とても痛い。
その勢いで、数歩後ろに下がったが、それでも止まらず尻もちをついた。
そして痛い、と口に出そうとして出せなかった。
お尻の下から変な振動があって、たちまちそれは浮遊感に変わったのだ。
そしてまた尻もち。さっきよりも数段いたい尻もち。
痛くてお尻を撫でる。
「なんだ、これ」
痛くて目が少しだけ潤む。
すると、上から影が差した。見上げると、よく見覚えがある奴がニタニタと笑っていた。
「まさか本当に引くなんて思わなかった。他にも色々用意してたのになぁ」
「ううう」
疑っていたなんて言っても信じてもらえない。だって引いてしまったから。
「おバカさんだなぁ」
痛恨の一言。どうせバカだよ。何で俺、引いちゃったんだろう。
ジンジンとおでことお尻が痛い。
痛くて悔しくて、涙がポロポロと零れる。
下を向いて手でゴシゴシと目を擦る。
「ふぅぅ、ぅ」
声を押し殺そうとするけど、余計に苦しくなって声が漏れる・
「ああ、もう、泣いちゃうと余計可愛いんだから」
意味の分からない言葉を言われる。泣いて可愛いなんてことがあるもんか。バカにしてる。
「ほら」
そう言われて上を見ると手が差し伸べられていた。
「立ったら届くでしょ。手当てしてもらいに保健室行こう」
落とした張本人がそう言うなんておかしな話だけど、今の俺にはこの手以外に救いがないのだ。そう言い訳して、俺は温かいその手を握った。
ギュッと掴むと、が俺の手を両手で握り、勢いよく引っ張る。俺もそれに合わせて土を蹴った。
まだ俺は同級生の女の子より背も低くて力も弱い。
でもいつか、必ず、背が高くなって、逞しくなって、こんなことがないようにするんだからな。
穴の外に出ると、が空を仰ぐように座り、ゼエゼエと息をしていた。
俺のおでことお尻はまだ痛い。絶対に痣になってる。
ジンジンとした痛みが止まらなくて、それと合わせてやっぱり涙も止まらない。
「痛い?」
「うん」
は立ちあがると俺の頭を撫でた。
「ごめんね」
「謝るなら作らないでよ」
グスリグスリと鼻をすすりながら言うと、は笑った。
「嫌」
ごめんなんて口ばっかりだ。
離れていた手をまた握られる。
「ほら、保健室行って怪我直してもらおう。頬も切れてるよ」
通りでさっきから頬もヒリヒリするわけだ。
「うん」
落とされた相手に情けなく手をひかれながら、俺は歩いた。
こうやって何度もひっかけられながら何度も手を引かれて保健室に行く。
前、手を引かれるのが嫌だと言ったら「勘右衛門は罠にかかるから駄目」と言われた。
それを無視して歩いたら、彼女の言うとおり、穴に落ちた。
だから俺は彼女の手を甘んじて受け入れる。
別に、怖いからとか、手を握ってもらっていると落ち着くとか、そんな理由じゃないんだ。
手を強く引くの後ろを歩く。
ヒックヒックという音が止まらなかった。
女の子に泣かされて、手を引かれて・・・。情けないさ、そりゃ。
だから絶対、大きくなったら、いつか絶対の手を引いてやる。
でも女の子を罠にかけるのは駄目だ。
とにかく、何でも、いつかをギャフンと言わせて見せるんだ。
そんな気持ちも失せてただ怯えるようになったのはいつの日か。