ドリーム小説
「今日も授業で使う火薬の分量を量っていく。俺とタカ丸さん、と伊助と三郎次で作業する。でもそっちでもしも運ぶのが重い物とかあったら遠慮なく言ってくれ」
淡々と久々知が説明を行う。向かい合っていた四人のうち一人から反応が返ってきた。
「え、僕と兵助君でやるの!?」
タカ丸は指を自分に向けて驚いている。
効率の話、男手は別れた方が早く作業を行える。久々知は普段そう判断して、久々知と伊助と三郎次、とタカ丸で分かれていた。
それなのに今回は久々知とタカ丸が一緒になって力が偏る。
「何か不満でも?」
冷静な声だが、タカ丸には久々知の目が据わって見える。
久々知が急に形を変えたことに心当たりがある。と久々知が付き合い始めたからだ。
確かに下級生なら範疇外、タカ丸の年齢なら範疇内。何の範疇か?嫉妬の範疇だ。
タカ丸は苦笑した。
「それって公私混」
「何か問題でも?」
言わせる気はないのだ。久々知は自覚してやっている。そしてそういう振り分けを行った上でも効率的に動けると判断しているのだ。
「・・・ないです」
は心の中で「ごめんなさい」と呟いた。
仕事の合間に雑談が入る。ただし、和やかなのは一方だけである。
「今日抜き打ちテストだったんですよ」
「うわぁ、最悪だね。どうだった?」
「もう駄目駄目でした」
「一年は組だしな」
「馬鹿にしないでください、三郎次先輩!」
「馬鹿だろ?」
「む〜」
「抜き打ちじゃねぇ。仕方ない仕方ない、次頑張ろう」
幼い高い声と、女性特有の柔らかい声で会話は続く。
タカ丸はあちらを羨みながら、久々知を見た。
「兵助く〜ん」
控えめに呼んでみる。久々知は作業から顔を上げ、タカ丸を見た。
「何ですか?」
極めて普通である。機嫌が悪いわけでもなさそうだし、気まずい雰囲気でもない。
最初のやり取りが嘘のよう。
「僕って信用できない?」
タカ丸はに恋愛感情などない。同じ火薬委員の仲間として、疑われているのはどうにも居心地が悪い。
「分担を変えたのは信用とかじゃないんです。たぶん、タカ丸さんとが一緒にいたら俺が集中出来なくなるから。すみません」
素直に自分が原因であることを認める辺り、大人な行動をとれる。
そんな久々知が作業に私情を挟んでしまうのだから、はかなり愛されているのだろう。
二人がくっつく前からが久々知を好きだと知っていたタカ丸にしてみれば、良かったと思うけれど、どうにもこれは執着がすごそうだとも思わせる。
余裕を持たないと、恋愛はお互いに窮屈そうだ。
タカ丸はしかしここで自分が何か言っても、拗れそうだとも思う。
「兵助君も男の子ってことだね」
「・・・」
茶化すつもりはない。ただそう思ったから言っただけだ。
久々知は何の反応も見せなかった。
タカ丸は薄く息を吐いた。
「僕も男の子だから気持ちわかるけど」
ういしょ、と分けた火薬を移動させる。
「余裕がないと、相手が不安がるよ。もしくは、久々知君が不安なんじゃない?」
「不安、ですか」
他の人間にあれこれ言われたら、頭に血が上りそうなものを、久々知は冷静に受け止めた。
「どうして他の男が近くにいて嫌な気分になるのか。取られちゃいそうだからだよ」
その対象が自分になるのは困るのだが。タカ丸はため息を吐きそうになる。
「自分を振って、その男のところへ行っちゃうんじゃないかって不安だよ。でもそれは、相手を信用していないってこと」
「俺は、の気持ちが嘘だなんて思ってないっ」
タカ丸は驚いた。大きな声ではない。ただ、迫力があった。
まるで何かを押し込めるような声は、もしかしたら今まで必死に激昂する感情を押し込んでいたのかもしれないと思わせた。
久々知の言葉はあの日、に言われたことの答えだ。
それでもあの時の感情とは大きく異なる。
「うん、ごめん。嘘とかじゃなくて、上手く言葉にできないや」
「俺こそすみません。心配してくれてるんですよね」
口調が荒くなったことが後ろめたいのか、久々知はタカ丸から目を離した。
「僕は二人とも好きだから、上手くいってほしいって思う。兵助君がちゃんを好きなのは見てて分かるよ。でも、一方通行は駄目」
「一方、通行」
久々知はタカ丸の言葉を繰り返す。
その声は悲痛そうでタカ丸はしまったと思った。
また言葉を選び間違えた。一方通行では久々知が気持ちを押しつけているように感じる。
「一方通行は言葉が悪いね。ごめん。口に出さなきゃってことを言いたくて。行動だけじゃどうしても足りない。それを補足する言葉がいるんだ」
久々知は眉間に皺を寄せた。首を傾げる。
「タカ丸さんは一体何を言っているんです?俺にはタカ丸さんが一体何を意図して言っているのか理解できません」
久々知には一体今タカ丸が何を問題視しているのかが分からない。
タカ丸はん〜、と唸った。苦笑する。
「えっとね、さっき僕が『余裕がないと相手が不安がる』って言ったよね?」
「はい」
タカ丸はできるだけさっきのような失敗を犯さないように、丁寧に言葉を選んだ。
「正直、今の兵助君は余裕が無いようにしか捉えられないよ」
委員会の活動に私情を挟むなど、久々知を知るものであるなら異常に見える。
普段から冷静な男が行動することにしては感情的にしか思えない。
「ちゃんは不安じゃないかな?」
ゾクリと久々知の背中に冷たいものが走る。
「この行動の意味を、ちゃんとちゃんに伝えた?」
伝えるわけがない。もともと久々知は寡黙な方なのだ。
いちいち自分の行動の意味など話さないし、親しい相手ならば自分の意図を推し量ってくれるだろうという期待もあった。
しかしそれが伝わらない相手がいる。他のことは伝わったとしても、お互いが違う立場であれば一つのことだけが伝わらないこともあるのだ。
今回だって、に何も言わなくても、きっと理解しているものだと思っていた。
人間関係において、その信頼は怠惰に近い。
伝えなければ。
頭にそれが浮かんでのところに行こうとした久々知の腕をタカ丸が掴んだ。
「兵助君、本当にどうしちゃったの?今は委員会中だよ」
今行けば最初の二の舞。
余裕がない。
久々知は実感した。
のことになると、自分の余分な考えが消え去ってしまうのだ。
全てが一つのことにしか考えられなくなる。
あの日もそうだ。
近づきたい、抱きしめたい、見つめたい。
ただそれらだけしか考えられなくて、それに従った。
今も久々知はそうしそうになった。
タカ丸が言ったことなど消えてしまって。
愕然とする。自分というものが分からなくなる。
怖い。
久々知はの元へ向いている体をタカ丸に向けた。
「これって普通のことですか?」
「え?」
久々知の目がタカ丸を見る。無表情ではない。それでもその表情をなんと表現すればいいのか。いうなれば、混濁。
「一つのことしか考えられなくなるって、普通のことですか?」
分からない。初めての経験に戸惑う。実際には初めての経験ではなく、初めてそれを意識したことに、だ。
「一つのことしか考えられなくなるってことは、集中しているってことかな。どうしてそんなことを思ったの?」
タカ丸にはどうしてそういう疑問を持ったのか分かっていない。
久々知は戸惑いながら口を開いた。
「のことになると、一つのことしか考えられなくなって、側にいたいって思ったら、何よりもそれを優先しそうになるんです」
戸惑いと恐怖がない交ぜになった声色にタカ丸はつい笑ってしまった。もちろん声には出さない。
「ごめん、久々知君。それ、集中じゃないね」
久々知はすがる思いでタカ丸を見る。
「それ、くびったけ、っていうんだよ」
ニッコリ笑うタカ丸に対し、久々知は無表情で首をたおす。
「くびったけ、ですか?」
「そう、兵助君はちゃんにくびったけ」
指で久々知をさし、理解してもらうようにした。
「つまり、普通のことですか?」
「恋をすれば普通のことです」
久々知の疑問にタカ丸は頷いた。久々知は落ち着いた表情でタカ丸の指を見る。
安心した表情の久々知にタカ丸は付け加える。
「でもそれでいいのは恋まで。恋愛ではそれは駄目。恋はその人だけを見ていればいいけど、恋愛はお互いが思いやらないと成立しない。自分の思いを優先させていたら、相手は疲れて嫌になっちゃうよ」
優しい声色で、久々知に教える。
久々知は小さく頷いた。そしてハッキリとした視線でタカ丸を見た。
「タカ丸さん、ありがとうございました。委員会が終わったら、に話してみます」
「うん、ガンバってね」
通じたことに安心して、タカ丸はホッと息を吐いた。
次の委員会からはこの重苦しい空気が無くなることを期待しよう。
比較的早く終わった戌の刻。
この時間帯ならまだ食堂で夕食をとれそうだ。
「良かったね、温かいご飯が食べられるよ」
「でももう売り切れとか出てそうですよね」
和やかチームは皆で食堂へ行こうと言った空気を作り出している。
そこに久々知が待ったをかけた。
「悪いけど、、話したいことがある。ちょっといいか」
は首を傾げたが頷いた。
「じゃあ、僕らは先に食堂に行ってようか」
タカ丸は気を利かせて下級生二人の背中を押した。
合図のようにタカ丸は久々知に頬笑み、二人を率先して食堂へ連れ立った。
付き合い始めて暫く経つというのに、は久々知と二人きりになると緊張するのだ。
窺い見るような上目使いで久々知を見るは、それが久々知のどツボだとしらない。
抱きしめたい。手がそれに従ってに向かいそうになるのを抑える。
いつもなら絶対に抱きしめていた。
「えっと、兵助。何?」
が話を促す。
「委員会での、割り振りを変えた理由なんだけど」
「う、うん」
はタカ丸と離されたことを嫉妬かもしれないと考えていた。
それが少し嬉しくて、くすぐったかった。
「がタカ丸さんと一緒にいると、俺が落ち着いて仕事ができないんだ」
「うん」
「タカ丸さんを信用してないとか、を疑っているという訳じゃなくて、が俺以外の男の隣にいるっていうのがどうしても、嫌だ」
名前の呼び方に嫌悪感を抱く男だ。
嫉妬深いだろうことは予想できた。
知っていたが、こうして言葉にしてもらえることが嬉しい。
「嫌だなんて自分勝手だと思うけど、が笑うのは俺の隣で会ってほしい」
久々知が言いきった。
最後の言葉は懇願にも聞こえる。は少し戸惑ったが「はい」とだけ答えた。
その言葉に久々知が一歩近づく。しかし一歩だけで踏みとどまった。
「今日、言われて知ったんだけど、俺はにくびったけなんだそうだ」
「は・・・ふえ!?」
予想外の言葉に驚く。まさかそんな恥ずかしい言葉を言われようとは。
「今まで、俺はに自分の好きなようにしてきたけど、タカ丸さんがそれじゃ駄目だって」
バツが悪そうに言う久々知だが、照れている訳ではない。
むしろこの告白で照れないのが不思議で、告白されているの顔が真っ赤である。
久々知の目がまっすぐにを見る。
「だから聞くけど、抱きしめてもいいか?」
歯に衣着せぬ物言いは、の顔をさらに赤く染める。
久々知はジッと見つめて返事を待った。
「その、あの」
返事をすれば良いだけなのに、戸惑う。
は俯いてギュッと目を閉じて、やっと返事をした。
「うん」
久々知の腕がを包み込む。
の頭に顔を寄せた。
「ごめん。あと、これからもよろしく」
も小さく手を久々知の背に回す。
「こちらこそ、よろしく」
の熱のこもる顔に、すり寄った。