「茶がうめぇ」

ズズズと音を立てて熱いお茶をすする。ホッと心が落ち着く。

お茶請けの饅頭を一口。お茶の渋みが餡の甘みをより引き出す。

陽は温かいし、風はそよそよと穏やかだし、騒がしい問題も起きていないし、ああ、なんて優雅なひと時。

「今日は珍しく平和だな」

「そうだね。毒虫も逃げてないし、敵も侵入してないし、海賊さんも来てないし、一年は組が問題起こしてないし。呑気な日だ」

隣で寝ている友人の言葉に同意する。ちなみに彼女はいつも通り、寝ながら饅頭を頬張っている。

饅頭の最後の一口を口に入れて、私も床の上に寝転んだ。


すでに放課後、陽は西の方へ傾いているが、まだ夕日と呼ぶほど赤くない。

息を一つ大きく吸い、口から吐き出す。

先日あれほど声をあげて泣いたと言うのに、すっかり和やかな気持ちだ。自分の立ち直りの速さに脱帽。

今日、私は失恋したと確信した。勘右衛門は食堂には来なかった。

前日に覚悟を決めた、というかほぼ諦めていたせいか、それは私の心ですんなり落ち着いてしまった。

今はもう頑張ろうという気持は湧いてこない。

それでいいのだ。うん、良いのだ。四年とちょい、勘右衛門にのみ心血を注ぎこんだ私に今必要なのはきっと休息だ。

休んだらまた今度、頑張れることに出会うかもしれない。それまで力をため込むのだ。

私は寝たまま、お茶を一口含んだ。


「あ、じゃん」


隣にいる友人の言葉に反応して、辺りを見渡すと、こちらに走ってきている美少女がいた。

長い足を見せつけているように見えるのは、私の性格がやさぐれているせいだろうか。

ちゃん、ちゃん」

どうも私のご用のようですね。

「帰ってきてたんだね」

は近くに来ると、ゆっくりと足を遅くし、前で止まった。

「うん、さっき。あのね、ちゃん。今時間ある?」

この寝転がっている状態で「ない」と答えても説得力のないことこの上ない。面倒事は避けたいのだが、状況が許してくれない。

「はいはい、暇ですよ?何の御用?」

放り投げるように言うと、はニッコリ笑った。

美人の武器だ。

「あのね、勘右衛門がちゃんに会って謝りたいって」

「は?」

予想外の名詞に一瞬頭を殴られたように考えが抜け落ちる。

そして暫くして起こったことが繋がった。

「「あ〜」」

友人が私に合わせて声を出した。

「そう言えばすっかり忘れてた」

「最近あんた色々あり過ぎてるんだよ」

私たちが忘れていたこと。

それはが勘右衛門の誤解を解きに行ったこと。

そういえばそんなこと言ってたね。

まあいっか、って投げやりにしてすっかり頭の中から削除してたよ。

私はゴロゴロしていた体勢から起きあがった。

「それで、私はどうしたらいいの?」

「あ、勘右衛門が長屋の入り口で待ってるから今から行ってもらえる?」

「分かった」

人が待っているなら行かないといけない。

、ありがとね」

「ううん、いいの」

ハニカム姿も絵になって本当に、憎らしい。

私は地面に降りると、友人に振りかえった。

「行ってきます」

「気をつけてね」

少し心配そうが視線が私の背中を押す。

背をシャンと伸ばして、私は勘右衛門が待つ所へ。




















くの一の敷地から出ると、すぐに勘右衛門がいた。目が合う。何故か目を見開かれた。

私が挨拶をしようと口を開く前に勘右衛門が動いた。

、ごめん!!」

ガバリと勢いよく頭が下がる。驚いてうっかり半歩下がってしまった。いつもと逆だ、逆。

「俺、勝手に勘違いして、を傷つけた。も、八左ヱ門も、兵助も、は虐めなんかしないって言うのに、勝手に思い込んで。酷いこといっぱい言って、睨んだりして、本当にごめん」

不思議だ。目の前に勘右衛門がいるのに、とても心が落ち着いている。

いつもだったら、すごく心が温かくなって高揚するのに、今は心の中から何か消えたようにすっきりとしている。

「本当は違うって、一昨日に言われて、でも俺弱くて、謝るのに今日までかかった。はすぐに謝ったのに、俺にはその勇気がなかった。情けないと思う」

じっくりと観察してみる。悪趣味なのは放っておいてほしい。

力の入った体。顔はもちろん下がっているから私からは見えない。ギュッと袴を握る手。

私、この人が好きだったんだ。

フッと頭に浮かんだ言葉。ああ、と実感する。何を今更だけど、心にジンと染み込んだ。

「許してくれなくて良い、なんて言えないけど、許されなくて当然だと思う。それでも仕方ない」

必死で謝る勘右衛門につい頬を緩めてしまう。

「やだなぁ、勘右衛門」

私が言葉を出したからか、勘右衛門は下げた頭を少し上げて私の顔を見た。



「許すなんてできるはずないじゃない」



クッと眉間に皺が寄った。この表情、昔よく見たな。罠にハマっているのを見つけた時と同じ顔だ。

「だって初めから怒ってないのに許すことがどうしてできるの?」

一度だって、私は勘右衛門に腹を立てたことがない。

なら許すことなどできるはずがないのだ。

「勘右衛門、頭なんて下げないで。おかしいよ」

言うと、勘右衛門は戸惑いながら頭を上げた。

情けない顔だ。それが可愛かったのだ。

自分でひっかけながら、守りたくて、笑わせたくて、好きになってほしかった。

泣いた顔も素敵だけど、微笑む顔が一番勘右衛門らしかった。

誰よりも勘右衛門を知っていたかった。

全部が思い出だ。

、ごめんな」

それに私は息を吐いた。

「うん」

勘右衛門が真剣に言っている言葉を受け止める。

勘右衛門は安心したようで、体に入っていた力を抜いた。

本当に、おかしな気分だ。

全てがストンと落ち着いて、心の内が動かない。

もう勘右衛門は全部言い終わっただろうか。

もう口を開きそうにない。

「わざわざありがとうね、勘右衛門」

「いや、こっちこそ、来てくれてありがとう」

即座に返事がある。ドモらない。私と話しているのにドモっていない。

ここまで来ていたのだ。

「じゃあ、またね」

踵を返して、部屋に戻る。

しかし言わなければならないことを思いついて、また振りかえった。


「あのね、勘右衛門」

呼ぶと、ん?と私を見る。もう可愛い情けない表情ではない。

「今まで、ごめんね」

四年間とちょっと、あなたに向けた笑顔。

これがあなたに向ける最後の、最高の笑顔。

私の言葉が分からなくて、勘右衛門は首を傾げた。

謝ったのはほとんど私の自己満足だから知らなくても良い。ただ言いたかっただけ。

言うだけ言うと、私はまた体を返した。

足取り軽く友人が待つ部屋へ戻る。








後悔はない。未練はないとは言い切れないけど、それほど長引かないだろう。

もう心は完結してしまっている。涙は出ない。

初めて味わう心の爽快感が少しさみしい。

実感する。

あれは恋だったのだ。

もう私は恋をしていない。私の初めての恋は思い出になった。

息を吸い、吐いた。自然と笑みがこぼれる。

もしも今度があったなら、その時はきっと叶えてみせる。





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