残念賞と鼠男
2話
トスッという音と同時に木の板が揺れる。八方手裏剣が所狭しに的に突き刺さっている。
日はすでに暮れており、空には三日月が顔を出している。
薄暗く距離のある的を見るには不便だが、夜目の利くには大した障害ではない。
そもそも暗くなって的に当たらなくなるのでは練習の意味がない。
は一端手裏剣を置き、疲れた指先を解した。集中して首も凝った気がしたので回す。
息を吐き出し的に目を向けると、的の残りの面積が極僅かなことに気が付いた。
まだその間を縫って投げ続けることも不可能ではないが、手元にある手裏剣の数も減っているので全て取ることにした。
八方手裏剣だからさほど深く突き刺さっている訳ではない。しかし抜けば確かに板に傷跡が残っている。
が付けたものでもあるし、それ以外の生徒のものでもある。
中心に傷が多いのは上級生が良く使う的だからだろう。下級生が使うものより的が小さくなっている。
箱に戻すたびに金属のすれる音がする。
最後の手裏剣を抜いたところで、後ろに人がいることに気が付いた。
いつから見られていたのだろうか。疲れているのか集中しているのか、それとも相手の実力か。
後ろを振り向いたは最後の選択だけ除外したかった。同級生に負けたくない。
「よぉ、」
泥を顔に張り付けて相手は手を挙げ、ニカッと笑った。
子どもの様な相手にも笑う。
「何してんの、七松。泥だらけ」
ん〜、と小平太は自分の制服を見た。暗くて分かりにくいが、制服の色が斑に濃くなっている。
「さっきまで体育委員会で塹壕掘ってたんだ。楽しいぞ〜、も今度やるか?」
「遠慮しとく。七松みたいに速くは無理だし」
「何を言ってるんだ、速く出来ないから練習するんじゃないか」
練習云々はもっともな意見だが、塹壕を速く掘ることは忍者に求められていないし、彼を目標にするには次元が違いすぎる。
「ところで、いつからいたの?」
負けず嫌いな性格か、はその一点が気になった。
小平太は考えるように一度上に視線を向けた。
「ん、ん〜、さっき」
さっき、と言われても人によって長さは異なる。
気付かない内に背後を取られたのは事実だから時間の長さは関係ないか、とは軽く息を吐いた。
七松は話すつもりがあるのか、その場にしゃがみこんだ。
「は手裏剣を投げる時の姿勢が綺麗だな、お手本みたいだ」
ということは手裏剣を投げていた時から後ろにいたと言うことになる。不覚だ、と笑ってしまう。
「そう?ありがとう。まあ、基本に忠実な方が命中率も威力も上がると思って癖直してるから」
「偉いなぁ。私はどうしても投げるときに手首を大きく回してしまってな、直そうとは思うんだが変に力が入ってしまうんだよな」
本当に感心したように言うと、小平太は手首を手裏剣を投げる時のように曲げる。
「癖っていつの間にか付いてるからね、基本を癖にするしかないよ」
「だな」
は手裏剣の入った箱を持ち上げると、投げる位置に戻った。
「そう言えばさっき先生たちが話していたんだが」
「何?」
箱を置き、その中から手裏剣を3枚手に取った。刃で手を切らないように持つのはすでに習慣だ。
「今度6年男女合同で演習するらしい」
「合同で?」
投げようとした腕を止めては小平太を見た。
小平太は楽しそうに笑っている。
上級生になれば男女の力関係は絶対的な隔たりがある。
同等の訓練を受けているのならば、力で女子が男子に敵うことはそうあることではない。
違うからこそそれぞれ役割も違うのだが、この時期になって男女合同とは一体何を狙ったものか。
「だからもし2人1組になるやつだったら私と組まないか?」
「それはないでしょう」
は笑いながら小平太の提案を否定した。
6年の男女比は圧倒的に男子の方が多い。
女子は片手で足りるほどしかいない。それなのに2人1組になれば男があぶれる。
「何も男女で必ず組まなきゃいけないってことには先生たちもしないだろ」
「・・・男子同士で組んで良いのに、わざわざ私と組むの?」
先ほどの力関係の話の通り、女子の方が不利に働きやすい。もちろん、力だけで勝敗は決らないのだが。
「と組むと楽しいことがありそうだ」
「楽しいこと?」
頬に着いた土が気になったのか、小平太は手の甲でそこを拭った。
しかし肝心の泥は取れるどころか余計に面積が増える。自分の顔を見られない小平太は満足して手を下ろした。
「まあ、あくまで組むなら、の話だけどな。単独だったら手加減しないぞ」
「そりゃこっちも望むところ」
手裏剣を一枚投げる。それは的の中心に吸い込まれるように突き刺さった。
「お見事」
「からかわないでよ」
は苦笑して小平太の言葉を受け流した。
二投、三投と続ける。人に見られていると言うことに多少気負いがないこともないが、染みついた動作は何の問題もなく機能する。
「私気になっていたんだが」
小平太は立ち上がり、に近づいた。慎重さからは見上げる形になる。小平太の顔は常に笑みが絶えない。
「どうしては仙蔵のことを鼠男と言うんだ?私は似てないと思うんだが」
全く違う方向に転換した話だが、はああ、と納得する。
「本当は最初、狐男にしようと思ったの。ほら、つり目だから。でも狐じゃあの男を表すには可愛すぎるじゃない?」
首を傾げて同意を求めるだが、小平太はそれに頷けなかった。
仙蔵を動物に例えるなら狐、という話は納得ができてしまう。
同意は得られなかったがはそのまま話を続けた。
「なら同じつり目な感じの鼠にしてしまえと。どう考えても鼠なんて好意的に受け止められないしね」
鼠は害獣である。衛生面も良くない。呼ばれて嬉しい人は中々いないだろう。
「でも私も立花には残念賞とか呼ばれているからお互い様よ。というかあっちが呼び始めたのが先なんだけど」
の発言に小平太がコテンと首を倒した。
「鼠男って呼ばないのか?」
「え?ああ、そうね、普段は呼ばない」
「何で?」
その質問には苦笑する。
「だっていない所で言ったら陰口じゃない。私陰口嫌いなの」
「ふ〜ん」
小平太は両手を頭の後ろで組んで、を見下ろした。
無表情で見られ、は少し身を引く。小平太はの目を真っすぐに見つめた。
それから急に小平太は笑いだした。
ギョッとする。何も言っていないし、笑わせるような顔をした覚えもない。
「ははっ、いや、うん、悪い」
上機嫌にに謝る。ニッと笑顔を作ると言った。
「いやぁ、仙蔵とは似てると思うな」
「え」
顔を歪める。その反応にさえ小平太は笑う。
「もつり目だよ」
小平太は自分の目尻に人差し指を当てると軽く上に引っ張った。
も自分の目尻に手を当てて撫でる。それで分かるはずがないのだが。
は諦めたように笑う。
「目だけはそうかも。でも似てないと思いたい」
小平太は満足したのか、あ〜、と声を伸ばした。
「じゃあな、私は夕飯だ!あ、その前に風呂だ」
「そうね、そのまま食堂に行ったら確実に誰かに怒られちゃう」
最後にまた小平太はニッと笑って足を風呂場へ向けた。
小平太の影が無くなると、は今一度自分の目を撫でた。