東に白い太陽が見える青天の空に、緑の山から狼煙が上がる。
それを見て女たちは頷き合い、獲物を目指した。
以前小平太が言っていた演習が始まった。
内容は忍たま対くの一。ただし表面上はくの一が一方的に忍たまを追う形になる。
つまり鬼ごっこ。
忍たまは首から札を掛けていなければならない。
その札をくの一が取ればその忍たまは失格。とられた忍たまは即座に学園に帰還することになる。
全体で2分の1以上を獲得すればくの一の勝ち。出来なければ忍たまの勝ち。
この規則で重要なのは「札を取られたら」という部分である。接触しても負けにはならない。つまり戦闘に発展するのである。
くの一は片手で足りるほどの人数しかおらず、圧倒的に忍たまより数が少ない。
相手が組んで襲って来ては負けるのが必至。そこから如何に勝ちへ転換するかが腕の見せ所だろう。
しかし忍たまは徒党を組むことをしないだろう。何故なら相手は「くの一」だから。
忍者は使えるものは使う。時には情を投げ捨てる。されど学園内で教師の庇護の下にある彼らは、学園生徒同士の演習に少し甘さを持っている。
そして自分の実力を試したいと思っている。
そんな彼らを追い詰めるくの一は今回、単独行動に決めた。
固まれば叩かれやすい。二人組になったとしても人数の話であれば不利であることに変わりはない。
故にそれぞれが独自の実力を発揮し、一人でも多く動いていられる単独行動を選んだ。
狼煙が上がる前に各々山へ入る道は決めていた。
鬱蒼とした道を歩き、は山頂より少し下で足を止める。
忍たまに見つかった感じはしなかったが、周りを見渡し人が隠れられそうなところを窺う。
クナイを片手に葉を覗くが人影はない。
周りに細心の注意を払い、は持ってきていた縄とクナイで作業を始めた。
簡易な罠を仕掛ける。精巧な作りにする必要はない。
なぜならこれは壊すために作ったからである。罠があったこと印象付けるためだけの道具だ。
作ったそれを壊すと、次に取り出した水筒を開け中身を手に流す。
ドロリととろみのある液体が手の平を覆う。赤黒く仕上げられた血糊である。
近くで見れば偽物と分かるかもしれないが、生憎山は薄暗く、はそれを誰かにマジマジと見せつける気もない。
手を使い足首に塗る。
上手く濡れたら罠の近くに座っておく。
水筒はきちんと仕舞い、液体で濡れた手は誤魔化すために足首に当てておく。
これだけで本物の罠は完成だ。
あとは演技が物を言う。
人の気配がしたのなら、足に当てたのとは反対の手を口元に当て、噛み殺すような呻き声を漏らす。目を固く閉じ、そこから涙を潤ませる。
子どもの様な泣き声ではいけない。彼女は女を武器にしようとしているのだから。
忍たま相手に上手くいくのか。いくのだ。なぜなら彼女は女で美人だから。
一刻も過ぎればほら。
「大丈夫か?」
引っ掛かった。
顔を上げれば心配そうな忍たまの顔。
少し申し訳ない気がしないでもないが、勝負に情けは無用だ。
「あ、わ、罠にかかっちゃって」
「あ〜、本当だ。血が出てるじゃないか」
忍たまは慌てて手拭いを懐から取り出す。
傷にそれを巻くべく、彼はしゃがみ傷を覗きこんだ。
彼の首にはきちんと札が下げてある。
「ごめんね、ごめんね。自分でどうにかしたかったんだけど、救護道具持ってきてなくて」
「当然だよ、かさ張るもんな」
「うん、ごめんね」
傷の手当てのために十分伸ばした首に用意していたクナイを近づける。
気付かれ難いように、体を寄せる。身を引かれては気付かれる。
「私、不注意だよね。ちゃんとしている方だと思ってたのに、こんな仕掛けに」
「誰だって時には失敗するさ。そう気を落とすなよ」
「うん、そうする」
切るというより引きちぎるに近い形で縄は切られた。
の手の平に落ちる札。
一度鬼が札を手にしてしまえば、子がそれを取り戻すことはできない規則だ。
縄の切れた音に呆然とする忍たま。
「誰だって失敗するから、気を落としちゃ駄目よ?」
「うわぁ」
にんまりと笑うに段々と顔を青くする忍たま。
はチラチラと札を振って見せる。
「色に引っ掛かったなんて潮江に言ったら、最低でも1週間はあなたが鍛錬相手ね」
「勘弁してくれ」
三禁に厳しいギンギンに忍者している彼の耳に入ればバカたれと罵られるのは容易に想像できる。
自分の失態に頭を抱えながら忍たまは立ち上がった。
「学園に戻るよ。こんな短時間でだと先生に怒られそうだけど」
「そうね、反省文を書きながら皆を待っていると良いわ」
「俺が書けることは『二度と女は助けません』だけだね」
「1度あることは2度ある、2度あることは3度あるのよ」
満面の笑みで言うと、忍たまもまんざらではなさそうだ。
肩を落として忍たまは歩いて消えた。
足に付けた血糊を拭い、立ち上がる。
ノルマは二人。くの一全員が二人ずつ倒せれば忍たまの半分には届く。
仕掛けに使った縄を回収する。
さて、次はどうしようか。
適当に場所を移動してかちあっては面倒だ。しかし先ほど使った技はもう使えまい。
1日で2人も簡単な罠にかかってくれるほど忍たまも油断していないだろう。
一定の場所で待ち伏せするか。
どうせなら気付かれ難い木の上が良い。
どうしても人間、頭上より目線の高さに目が行く。尚且つ木に登れば遠くの方も見えやすい上に、上から飛び下りれば意表が突ける。
枝が高いところからある木ばかりだが、頑張れば登れないことはないだろう。
先ほど罠に使っていた縄をクナイに結び、木の枝に投げる。
クナイはクルリと回り枝にしがみ付いた。確認するように縄を二度引く。
それから縄を伝って木の上に上った。
山の中は見通しが悪いく相手が見えないが、逆に言えば良く隠れられると言うことである。
は目を細め、木々の間を見る。戦闘の邪魔になっては面倒だから遠眼鏡は持ってきていない。
「見つけた」
木に登って約二刻。動く人間を見つけた。
山は広いのでもっと時間がかかってもおかしくなかったが、今日のは本当についているらしい。
相手がいる位置まで木を伝っていけそうだ。
音をなるだけ立てないように太い枝を選ぶ。
少し遠回りをしながら相手の背を狙う。
真上に近い木に止まる。相手は飛び下りるには丁度良い位の幅を開けて立っている。
懐に手を伸ばしクナイを抜きだした。
相手はこちらを警戒した様子はない。
一呼吸おいて飛び下りた。
地面に着地した瞬間、それが地面でなかったことが分かった。
土の硬い感触ではなく、落ち葉の感触。そしてすぐに足の裏には何もなくなった。
予想していた落下地点を過ぎ、胸が冷える。
すぐに体に衝撃が起きた。
薄暗い場所にいる。どう考えても罠の落とし穴だ。
六年にもなって落とし穴にはまるとは何と間抜けだろうとは自分に呆れた。
これでは相手にバレバレ。というか丁度良く間を開けていたのは落とし穴にはまらせる罠の一つだったのだ。
立ち上がろうと土の壁に手を付く。
そこで足首に痛みを感じた。
着地した時におかしな形になったのだろう。先ほどとは違う正真正銘の怪我。血は出ていない。
ガサガサと葉を踏む音が聞こえる。
「何だ、でかい猿がかったと思ったら残念賞か」
最後の一言だけで自分が誰を狙っていたのか知らされる。
薄暗く、また実習中は顔を見えにくくしている為気が付かなかった。
正直札を取れれば誰でもよかった。一人を除いては。一人とは実習だろうがなんだろうが関わりたくなかった。
そしてその一人は今頭上。
「どうした、上がって来ないのか?」
穴の深さは立てば自力で出られるほどの深さだ。普段ならそのまま札を奪いにかかるなり、逃走するなりするはずだが、今のにはそれができない。
「別に良いでしょ、さっさと逃げたら?札取るわよ」
「とれるものならとってみろ。というか、お前・・・」
仙蔵を見ないの内心は動揺していた。
怪我をしているなど悟られたくない。知られたらきっとバカにされるに決まっているから。
仙蔵は上からの頭を見下ろし、目を細めた。
「怪我したのか?」
核心を突かれる。
「違うわよ。ちょっと疲れたから座ってるだけよ。さっさとどっか行って」
「なるほど、図星か」
「はぁ?」
確かに苦しい言い訳ではあるが、極めて平然と言った台詞が図星であると決定するような内容だと思えない。
しかし仙蔵は決めてかかっている。
「座りこんでいるところを見れば足か」
「ちょっと、疲れたからって言ってるでしょ。勝手に人を怪我人にしないで」
「ほら、手を貸せ。引き上げる」
「聞きなさいよ」
手をに伸ばす仙蔵だが、苛立ったの声で遮られた。
呆れたようにため息が吐かれる。
「もし怪我してなかったとしたら、お前はこの状況を札を取るために利用するだろう。動けないから手を貸せとか何とか言ってな。言わないということは本当に怪我をしているということだ」
言いきると仙蔵はの袖を引っ張った。
バレバレの自分の態度には少し恥ずかしくなる。
「怪我しているのは片足だけか?」
「・・・右足だけ」
「そうか。手で支えてやるから、片足だけで立てるか?」
「・・・たぶん」
仙蔵はの前に両手を出し、は手をそれに重ねた。
片足だけで立ち上がるためには結構な力を仙蔵に欠け中ければならない。
白い肌を持つ男にそれが支えられるかと思いながら、は失敗した時のことを考えながら立ち上がった。
仙蔵の腕は少し下がったものの、を無事に立たせることに成功した。
「自分で出られるか」
少し足は痛むかもしれないが、出られないことはないだろう。
土に手を当てると片足と腕の力で体を押し上げ、膝を上げた。
ズキリと一層足首が痛む。
しかし無事に穴から抜け出すことができた。
は戸惑いながら、下を向いたまま口を小さく開かせた。
「・・・ありがとう」
「ん?何か言ったか?」
「・・・別に」
「足、見せてみろ」
仙蔵がの前に屈んだ。
先ほど騙した忍たまと同じ体勢。それには身を引いた。
「もういいわよ。今実習中なんだから、さっさと隠れたらどうなの」
「残念賞に心配されるほど私は愚図じゃない」
「心配なんてしてない」
仙蔵が口で軽く弧を描く。
「右足と言っていたな。触るぞ」
仙蔵の手が軽く触れる。布越しでは傷ついた足に痛みを感じさせない。しかし少し強く押されるとは顔を歪めた。
「まあ、歩ける状態ではないか。仕方ない。背負ってやる」
「は、は?」
仙蔵はしゃがんだ状態でに背を向けた。
「ほら、乗れ」
「い、良いわよ!何か鼠男変!何企んでんの」
いつもお互い貶し合う間柄だが、今日の仙蔵は妙にに構う。
それをが訝しがるのはもっともな行動だろう。
仙蔵は少し不満そうに眉を寄せた。
「手負いの女がいたら、いくら相手が残念な女でもそれなりの行動を取るのが普通だ。残念な女でもな」
「二回言う必要はないでしょ」
「とにかく、乗れ。さっさとしろ」
急かす仙蔵の言葉に、はおそるおそると手を伸ばした。
の手が仙蔵の肩に乗る。怪我をしていない方の足を使い、仙蔵の背中に身を寄せる。
思っていたよりも背中が広い。
仙蔵はの膝の裏に手を回し、姿勢を整えると立ち上がった。
は細身であるが、同学年の人間が軽いはずがない。
それなのに仙蔵はふらつかずに歩き始めた。は少し驚く。
触れる背中と肩が固い。自分の体が柔らかいことに気が付く。不思議な感じがした。
の目に札をぶら下げている紐が目に入る。
「・・・やっぱりおろして」
「おろしてどうする。這いずって学園に戻るのか」
「日が落ちれば誰か探しに来てくれるわ」
「野犬が出らんとも限らんぞ」
「・・・クナイと手裏剣くらい持ってるわよ」
「阿呆。そう簡単に行くか」
「でも」
まだ、仙蔵の実習は終わっていない。
忍たまは日が落ちるまで札を守り切れば勝ちだ。けれど山から出た時点で失格となり負けが確定する。
「実習はまだあってるのよ」
「お前に言われずとも分かっている」
「分かんないわよ」
どうやったら仙蔵が下ろしてくれるか分からず、はキュッと仙蔵の肩の衣を握った。
「下ろさないと札取るわよ」
脅しのつもりでクナイを取り出し、紐に引っ掛ける。
しかし仙蔵は少しも動じない。
「好きにしろ。どうせ山から出た時点で私は失格。確かくの一の取った札は山の外に持ち出した後も数として有効だったな。丁度良いじゃないか、活用しろ」
あまりにあっさりと言われてしまい、は下唇を噛む。
他に方法が思いつかない。
「ほ、本当に取るわよ」
「好きにしろと言っている。少しは黙れないのか」
「取るわよ!」
勢いに任せてクナイを持ち上げた。紐の先についている札がブラリブラリと揺れる。
あまりに簡単に札が取れてしまった。
「・・・取っちゃったじゃない」
「言わんでも分かる」
「・・・本当に訳分かんない」
「分からんでもいい」
手に持った札をどうして良いかも分からず、見つめる。
仙蔵に返しようもない。
悲しい気持ちと情けない気持ちと困惑がない交ぜになり、なんとも言えない気持ちになる。
仙蔵は受け取る気がないようなので札は懐にしまった。問題はこれを提出するかどうか、だ。
おんぶが楽になるようには軽く仙蔵の首に腕を回した。
「・・・実習中、だけじゃないけど、あんまり女に優しくすると潮江に怒られるわよ」
彼の同室は三禁に厳しい会計委員長。事を知られてはきっとバカモンと言うに違いない。
「いや、文次朗はもう諦めている」
「は?」
「私が予想するにおそらくため息を吐くだけだな」
「・・・あんたってそんなに女たらしだったの」
「もう黙っとけ」
葉がカサカサと鳴る。
仙蔵の歩き方は普段から音を立てないように気遣っているが、今はより上下に動かない用気を使って歩いた。
この山の中で同級生たちは何らかの形で戦っているのだろう。
それなのに、異様に静かだった。
黙っとけと言われた手前、話すのもなんだかと思う。
仙蔵と二人でいて話をしないのは初めてかもしれない、とは妙な違和感を抱いた。
いつも何かしら言い合っている。顔を突き合わせては嫌みの応酬。
それなのに今は言葉がない。
おんぶの姿勢ではが一方的に仙蔵を見る形になる。
いつもと違う。
それがの心をざわつかせる。
体の当たっている部分が布越しだけれど温かい。
つややかな髪の毛が目の前にある。の邪魔にならないよう、髪の毛は体の前の方によけられている。
見た目は細いのに、意外と肩がガッチリとしている。
女装をしている所も見たことがある。正直似合っていた。それなのに今は違う、女ではない仙蔵を感じている。
の中で何かが狂った。
歩くたびに伝わる微かな振動。
それとは別に心臓の音。
密着した布越しの体温。
当たり前だけれど、こんなに近くにいることが初めてだ。
『どうして優しくするのよ』
は胸の中で呟いた。
学園について真っすぐは保健室に預けられ、仙蔵は早々に教室へ戻った。
再び呟いた小さなありがとうはまた仙蔵には届かなかった。
仙蔵があっさりと部屋を出て行った時、いや、体温が離れた時にの奥の方に惜しい気持ちが残る。
悪口を言い合った。罵り合った。苦手だった。時には嫌いだった。
5年以上をそうして過ごしたと言うのに、熱い気持ちはそれより遥か短い時間で湧きあがる。
急な変化に戸惑い信じられないと頭を振るのに、は自分の変化を良く分かっていた。
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