「勘右衛門、行くぞ」
「あー、うん」
久々知に勘右衛門は気の抜けた返事を返す。
グッと力の入った眉間は夜の唸りが解消されていないことを表す。
勘右衛門は立ち渋り、情けない顔で口を開いた。
「俺、今日朝飯いいや」
それに久々知は難しい顔をする。
「朝食わないと後で困るぞ」
そう言われても、勘右衛門は情けない顔を崩さないまま、口篭る。
それに久々知はため息を吐いた。
何が勘右衛門をそうさせているかは分かっている。
尻込みするのも分かる。
「後回しにして良いことなんてないんだからな」
久々知に言えることはそれだけだった。
「今日は午前授業だな」
「楽でいいよね」
「何か予定あるか?」
「ゴロゴロ」
「それは予定か?」
そんなことを話しているのは私と鉢屋君。
いつもこんな調子。もっと面白いことを話せたら良いのだけれど、そんな話術私にはない。
私は気になって、鉢屋君の向こう側を見た。勘右衛門が来る方だ。
いつもならもう来ている頃だと思うのだが、まだ姿は現れない。寝坊しているのだろうか。
「勘右衛門、来ないな」
バレバレですね。
一緒に来る不破君たちも来ないのだから、もしかしたら何かあったのかもしれない。
「鉢屋君は何か聞いてないの?」
「何かって?」
・・・何だろう。えっと、来ない理由は寝坊したか、もしくは具合が悪いとか。
「昨日、誰かの具合が悪かったとか」
「皆総じて元気だった」
「さいですか」
でももしかしたら、朝急に体調を崩したりしたのかもしれない。
大丈夫かな。
「大丈夫だろ」
頭の中で考えていたことに返事があってびっくりした。
丸くなった目で鉢屋君を見ると、見下ろされていた。
「顔に書いてある。心配しなくても、もうすぐ来るだろ」
「ああ、うん。そっか」
まあ、いつもキッカリ同じ時間に来る訳じゃないんだから、少し遅れたぐらいで不安がるのもおかしいか。
「そういえば、お使いに出てるんだって?」
昨日くの一教室で誰かが話しているのを聞いた。
「出かける前に私は会っていないからよく知らないが、そうらしいな」
「そうなんだ」
その誰かが話していた内容は「がいないから今がチャンスよ!」というようなことだった。
一体そのチャンスを何人が掴むことになったのか分からないが、できれば勘右衛門に近づくくの一が増えていないことを祈る。
ひたすら祈る。
もうそろそろ、食事をとらないと授業に遅れてしまうだろう頃に、不破君、久々知君、竹谷君の三人が姿を現した。
私は彼らが来たことに一度安心した。彼らがいれば、勘右衛門がいることは当然のように思っていたからだ。
しかし目当ての勘右衛門が三人の後ろにいないことに気が付いて、つい眉間に皺を寄せた。
そして一瞬久々知君が申し訳なさそうに戸惑った表情をしたのを見逃さなかった。
「さん」
不破君が私の隣に来て優しい表情で話しかける。
「勘右衛門、今日ちょっと調子が悪くて朝抜くって」
ニッコリと笑ったそれはいつぞや鉢屋君が図書館で私に向けてくれた笑顔にそっくりだ。あ、違う、鉢屋君が不破君の真似をしているんだ。
「そっか、体調が。あ、じゃあ、お大事にって伝えてください」
不破君の表情があまりに優しくて、つい視線を逸らしてしまう。
胸の内で小さなものが抜ける感じがした。
どうしてこういう時だけ、妙に勘が鋭くなるんだろう。
「?」
心配そうな顔で鉢屋君が覗きこんでくる。
あ、そうか、今そのまま表情に出てるんだ。笑ったら、大丈夫かな。
自分でもひきつっているのが分かるくらい、酷い。今まで散々やってきたのに。
「ごめん、鉢屋君。一緒に待ってくれてたのに。本当にごめん」
「が謝ることなんてないだろ、おい、大丈夫か?急に」
「大丈夫!」
焦って、鉢屋君が全てを言う前に言い放った。
このままここにいたら駄目だ。耐えきれなくなる。
胸の抜け落ちたところから、段々と罅が入って、壊れていくような気がした。二度と戻らなくなりそうで、早く、どこかに逃げたくなった。
鉢屋君に肩を掴まれた。でも、失礼とかそんなの頭になくてその手を振り払った。
「ごめん、本当に大丈夫だから。私、今ダイエット中だからご飯食べないつもりだったんだよね。うん、だから、もう行く」
もう私に余裕なんてなくて、鉢屋君だけでなく三人も心配そうな顔をして、それでやっぱり久々知君は罪悪感を含んだ目をしていて、それがさらに崩壊を加速させる。
壊れたものが、胸をせり上がって、目に溜まる。
私は誰の制止も聞けずに、走りだした。
怖がられても、私は勘右衛門に近づくことを諦められなかった。
嫌われても、いつかきっと好きになってもらえるって思っていた。
でも、それは勘右衛門が私を見てくれているから出来ることなんだ。
勘右衛門が見てくれなかったら、変えることなんてできない。
気づかなければよかった。
久々知君と不破君の優しさに。
気づかなければまだ私は勘右衛門を待っていられた。
気づいてしまったから、もう駄目だ。
勘右衛門は私に「会えない」と思ってしまった。
だからもう、私は勘右衛門の中で変わることなんてできないんだ。
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