星がクッキリ見える晴れた夜。は自主練を終え、長屋に帰った。
汗をかき、濡れた着物が肌に張り付く。
気持ち悪くて、早く着替えたい。それよりも湯に浸かりたい。疲れた体を酷使して、足を速める。
廊下にあがり、くの一長屋の中から自分の部屋を目指す。
灯りの点いた部屋からは談笑が聞こえる。しかしそれを関係ない物と通り過ぎた。
女子は一か所に集まりやすい。いくつかの部屋以外は静かなものだ。
灯りの点いていない部屋の前に人が座っている。
それには眉を上げた。
「何してるの、ちゃん」
声をかけると、は顔をへ向ける。
ああ、と気の抜けた声がの耳に届いた。
「部屋の明かり点けないで、どうしたの?」
困ったようには笑った。
「油が切れたのよ。二人ともずぼらだから無くなって気づくことが多くて。今貰いに行ってる。今日は星も月も出てるからいらないと思うんだけどね」
「ああ、そうなんだ」
は微笑んで首を傾げる。
の向こうのいくつかの部屋も灯りが点いていて、賑やかそうだ。
その明りが逆光になり、の顔が薄暗い。それがを大人びて見せる。
「は自主練?」
「うん、そう」
「お疲れ様」
とは別段仲が良いわけではない。
このように話すようになったのは、それこそこの間の勘違い事件から。
お互いの内面をあまり知らないのだ。
だからかもしれないが、今日のはの中のと違った。
「ちゃん、何かあった?」
それは朝のことが関係があるかもしれない。
は恐る恐る聞いた。
は考えるように一度視線を外すと、覚悟を決めたように眉を引き締めた。
落ち着いた目でを見る。
「には色々心配掛けたから、話すよ。後であんたの部屋行っていい?」
「え、今でも」
それには眉をしかめる。
「顔が汚れてるのよ。汗もかいてるでしょ。風邪ひくわよ」
「あ、うん。そうだね。じゃあ、後で」
「うん」
そっとの目はから外れ、何もない薄い闇をみた。
は首を傾げたが、張り付く汗を流そうと先ほどと同じように足を速く動かして自分の部屋を目指した。
風呂からあがり、さっぱりとして、部屋で一息つく。
まだ湿っている髪を手ぬぐいで乱暴に拭いた。
は一人部屋を使っている。上級生になると自然と人数が減ることと、特に親しい友人がいない、ということでだ。
誰も文句を言わないし、自分も不満がない。気楽である。もし寂しさを感じたら三郎たちの所へ行けばいいのだ。
は神経を外へ向けた。先ほどより静かになった気がする。だがが訪ねてくる気配はない。
が話す内容が気になって、ソワソワと落ち着かない。
気にしないようにしようと、教科書に手を手に取るが五行読んだところで頭に入らないことが分かり投げ出した。
どうにもしようがないので、布団を敷きそのうえでソワソワを発散させるようにゴロゴロと右へ左へ転がってみるが、それで治まるはずもない。
最終的に天井を見上げるように仰向けになり「あ〜」とよく分からない声を出して止まった。いつ来るか、何の話か。そればかりが頭を刺激する。
腹のあたりが気持ち悪くなって、上半身を持ち上げる。少し緊張気味である。
しかし体を持ち上げているのもだるくなって、そのまま前に倒れるように床へ上半身を付けた。
そこで衣擦れの音が入口付近でした。
「、入っていい?」
の声だ。は勢いよく座り直す。
「どうぞ」
少し上ずったような声でそう言った。少しの失敗にの顔がほのかに赤くなる。
スッと静かに障子が横に動いた。
「ごめんね、お邪魔します」
「あ、ううん」
何も気の利いた言葉が出ない。頭の中は話のことでいっぱいだ。
はあまり部屋の奥まで入らず、入口近く、と少し距離を離して座った。
「まずは今回、色々巻きこんだり、お世話になったりして、すみませんでした」
恭しく膝に両手をつき、頭を下げる。
それが彼女なりの礼儀なのだと、は何も言わずに受け止めた。
ゆっくり頭を上げると、は真っすぐにを見る。
「おかげ様で一段落つきました」
「うん」
も少し力が入っているようで、そこで一区切りつけると深く息を吸い、ゆっくり吐き出した。
「それで結果、と言うのはおかしいか。そのなんていうの」
え〜、とは言葉を選ぶ。決まったのか、目を少し開いた。
「最終的に私の中で答えが出ました」
「うん」
敬語なのはおかしいが、せっかく言葉を真剣に選んでいるのだ。水をさすのは憚られた。
「私勘右衛門のことを諦めました」
さらりと出てきたことに、は頷きそうになったが、半分の所で止まる。
それからゆっくり顔の位置を戻し、を見た。目が見開いている。
「え?」
それしか声が出なかった。他に何も浮かんでこない。
の反応を見ると、は仕切り直してもう一度息を吸い込む。そして一気に吐き出した。
「勘右衛門のことは諦めました」
ますます混乱するの頭。
そのまま何も言わないを見て、は補足を付け足す。
「たぶんくの一での噂を耳にはさんだと思うけど、本当のこと。尾ひれはひれ付いてるかもしれないけど、とりあえず私が今言ったことに関しては本当のこと。今、の前でハッキリと言ったんだから噂ではなく事実」
頷きもなくなったの反応だが、そのままは話を続ける。
「諦めたのはが実習に言っている間。まあ、理由は長くなるから端折る。まあ、そういうこと」
微かにの頭が横に振れた気がしたが、は気にせずに続ける。分かってもらうことは大事だが、話しているも切羽詰まっている。
少し言い方が雑だ。
「それでもう一つ」
すでにが聞いているかどうか定かではない。
は話そうと口を小さく開いたが、そのまま一口空気を含み、そのまま小さく息を吐く。そして大きく息を吸って、言葉と一緒に吐いた。
「私、付き合うことにしたの」
今までも大きく開いていたの目がさらに大きくなった。
それから徐々に顔がゆがむ。
「・・・どういうこと?」
は落ち着こうと胸に手を当ててトントンと叩く。
「だから、人と付き合うことにしたの」
「何で!!?」
大きく口が開かれ、そこからいっぱいに声が出る。
おそらく静かな外や隣の部屋に聞こえただろう。
は床に手をつき、前のめりになる。
「前向きに考えようと思って。一つ終わったなら次があってもいいと思うの」
「だ、急に」
「まあ、急だね」
の首が横に振れた。拒否している。何をそんなに受け入れられないのか。
おそらく、今まで抱いてきたの印象が崩れるからだろう。
勘右衛門に対して、一生懸命頑張っていたがの中ので、そしてそれに憧れ尊敬していた部分があった。
それが一気に崩れ去ること拒んでいるのだ。
徐々に首の振る幅が大きくなる。
「ちょ、?」
「ごめん!」
は勢いよく立ちあがると、の隣をすり抜けて戸を開いて出て行った。
はハッと気づき、の背に向かって叫ぶ。
「!夜着だけじゃ風邪ひく!羽織!!」
それが届いたのか、は顔を伏せたまま走って部屋に飛び込むと手頃な一枚を持ってまた出て行った。
他人の部屋で残されたはが戻ってくるのを待とうかとも思ったが、戻って来ないことも考えて、火を消して部屋へ戻ることにした。
の精一杯の告白だった。
に話すのは気が重かったが、巻き込んだことを思えば事の終わりを話さない訳にいかなかった。
話して肩の荷が下りたかと言うと、の反応を見てさらに重くなった気がした。
そしては後一つ、大切なことを言い残していた。
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