事の発端は朝に戻る。
私は最近朝早起きをする理由を失ったのだが、習慣付いてしまったものがそう容易く取れるはずもなく、友人より早く起きては身支度を整え散歩し、友人が起きるのを待って食堂へ向かう、というのが毎朝の行動になっていた。
そして朝もその通りの行動をして、食堂に来たのだ。
そこまではいつも通りだった。
それからちょっと変わったことが一つ。
それこそいつも通り、食堂前に立っている鉢屋君に軽く挨拶したのだ。
「おはよう、鉢屋君」
と。
「よぉ」
と返ってくるのもお決まり事で、私は適当に軽く話して食堂へ友人と入って行くつもりだった。
でも、今日は違って鉢屋君が道を立ちふさがるように私の前に立ったのだ。
「ん?」
何?のつもりの一文字。いつもならちょっと軽い雰囲気の鉢屋君だが、今はちょっと硬い気がする。
鉢屋君は私の一文字に何も返さず、友人を見た。
「ちょっとと話したいから席はずしてくれ」
「えぇ」
友人はちょっとニヤニヤした顔で言う。
不服そうなのにやけに嬉しそうだ。
「先行ってて」
「はいはい」
私が言うと素直にそう言う。どうも鉢屋君をからかうのがお気に召したようだ。
ドンマイ、鉢屋君。
友人は少し機嫌よく食堂に入って行った。
「で、どうしたの?」
「今日の放課後、暇か?」
「放課後?」
頭の中で予定を整理する。
放課後の予定、ゴロゴロする。我ながら碌な予定がない。
「暇ですね」
すると少し鉢屋君の体が硬くなった気がした。
え、どうして?
「なら、放課後、教室裏に来てくれないか」
「いいけど、何かあるの?」
「ああ、まあ」
何か曖昧さが気になるけど、暇だからいいや。
「わかった。じゃあ放課後に教室裏ね」
「ああ、悪いな」
「ううん」
後でね、と付けて私は食堂に入った。
何の用事か気になった。教室裏は放課後はあまり人気がない。そんな所に鉢屋君が私を呼び出す理由は何だ?
・・・虐め?
いやいやいや、まさか鉢屋君がそんなことをするはずがないじゃないか。
じゃあ何だ?
分からない。うん、行けば分かる。
とりあえずご飯を食べよう。
授業をまあ、それなりにこなし、迎えた放課後。
掃除当番でもない私は特にすることもないのでそそくさと鉢屋君と約束した教室裏に向かった。
しかしそこには誰もいなかった。
仕方なく私は壁に寄りかかり、鉢屋君を待つ。
もしかしたら鉢屋君は掃除当番なのかもしれない。それなら暫く来ないだろう。
壁をズルズルと滑り、しゃがみ込む。
やることなど当然ないので、地面にある草を千切って投げた。
それを繰り返すと、指の先が泥で汚れた。汚いので壁で拭いてみたが、綺麗にならなかった。
ふう、と何気なくため息を吐いた。
すると動くものを見つけて顔をそちらへやると、人の影だった。
鉢屋君かと思ったが、知らない人だった。
忍たま五年生を表す藍色の衣を着ているが、見たことのない顔だった。
かっこいい。
正直、とてもかっこいい。
こんなにかっこいい人なら知らないはずがないのに。私はその人に見覚えがない。
そこの空間にいるのは私とその人だけだ。
目があったりしたら恥ずかしいので、自然と視線が下がる。
首を下げ、座ったままの私は縮こまっているようだ。
そんな私の視界に足の先が入る。
え、ちょっと待って。何で立ち止まるの?
顔を上げられないで、ドッドッと心臓が速く鳴る。
「何してんだ、」
「はい?」
名前呼ばれましたけど、私あなたを知りませんよ?
反応して顔を上げるが、そこにあるのは見たことのない美しい顔。
系統でいうなら立花先輩がもう少し男性的になった感じだろうか。
呼ばれたんだから構うまい。
先ほどよりも至近距離で相手の顔をマジマジと見る。
すると相手がニヤリと笑った。
「私が分からないか?」
「どこかでお会いしましたか?」
彼が忍術学園の生徒であるなら見たことないはずがないのだが。
そもそもこんな美形の知り合いいない。
「私だ、鉢屋三郎」
「・・・は?」
相手の口から出た名前に驚く。
そして眉に皺を寄せた。
「私、学園でそんな顔の人知らないよ?」
「ああ、そうだろうな」
自称鉢屋君は軽く頷いた。
その反応に私の期待が高まる。もしかしてもしかして。
「それ、素顔!?」
すごく期待して、ドキドキして尋ねたらおでこを押された。
首が後ろにのけ反る。
「そんなわけないだろ。雷蔵にも見せたことがないのに」
ああ、ですよね。
期待したけれど、当たり前のことを言われた。
私はういしょと立ちあがる。
「で、まあ、顔のことは置いておいて。どうしたの?呼び出して」
「ああ、その、だな」
先ほどまで余裕綽々だった鉢屋君が口を間誤付かせる。
不思議な光景だ。
顔を私から少し逸らしたが、横目で私を見る。
仄かに顔が赤い。
「私と付き合ってくれないか?」
そう言われて、最初に浮かんだことを頭の中で打ち消し、また新たな候補を探す。
そして納得した。
「ああ、ど「どこに、なんて寒い冗談はよしてくれ」
読まれていました。
心が読まれていました。
鉢屋君はバツが悪そうに眉間に皺をよせ、視線さえ私から逸らした。
「本気で言ってるんだ、茶化さないでくれ」
確かに本気で言っているのだろう。あの鉢屋君が、私と付き合いたいと。
それが分かった瞬間、顔に熱がこみ上げる。
「・・・何で」
何の返事にもなっていない。ただ、それだけが出てきたのだ。
鉢屋君は私を居心地悪そうに見た。
「考えもしなかったって感じだな」
「そりゃ、しないよ。するわけないよ」
あの、鉢屋君だ。私のような平平凡凡女子にそんな思いを抱くだなんてどうして自分で思えよう。
鉢屋君は呆れたようにため息を吐いた。
「何のために私が毎朝起きて、食堂前に立ってたと思ってるんだ」
「え?」
それについて鉢屋君は私に話してくれていたはずだ。
「暇つぶしと健康のためでしょ?」
私の答えに鉢屋君は肩を落とした。でもこれ、鉢屋君が言ったんだよ?
「そんなわけないだろ。ちょっとは考えてくれ」
そんなことを言われても、わざわざ裏のある行動だと思わないじゃないか。
ムッとして鉢屋君を見ると、顔が真っ赤だった。
「にとって、毎朝あそこで挨拶することが愛情表現なんだろ?」
「あ」
自分のことしか考えていなかったが、なるほど、私以外の人の行動にしてもそれは当てはまるのだ。
「にとってそうなら、に対して毎朝挨拶すれば少しでも伝わると思ったんだ」
恥ずかしそうに頭を掻く鉢屋君。その姿に私の熱も更に増す。
この言いようもない恥ずかしさを私はどうしたらいいのだろう。
「気付かなかったか」
「うん、ごめん」
このことで私はあいさつ運動にあまり意味がないことを知った。
私は本当に勘右衛門しか見ていなかったのだ。
これでは自分も気づいてもらえなくて仕方ないだろう。
「あ〜、もう、悪い。責めたいわけじゃない。今いっぱいいっぱいなんだ」
はぁ、と息を吐いて鉢屋君は空を仰いだ。
「うん」
小さく私は返事をした。
いっぱいいっぱいさは私だってよく分かるもの。
そんな私を鉢屋君がチラリと見た。
「は私がこんな顔をしている理由も分からないんだろうな」
「え、理由あるの?」
「あるさ」
もしかして鉢屋君は全ての行動に意味をもっているのだろうか。なんか効率とか気にしてそう。
「悪いより良い方が良いに決まっている」
「うん」
そりゃそうだ。
「顔が良い方が良い印象を与えられるだろ」
「うん」
素直に頷く。間違っていないから。
「でも生徒の顔じゃ、混同される」
確かに、それがないとも言い切れない。
もしその人と混同しなかったとしても、目の前の人と変装している対象者を比較しそうだ。
「私を見てもらいたかった。尚且つ、私に有利に働くようにしたかった」
こういうのは策士、と呼ぶだろうか?それにしてはとても必死だ。
「だからこの間、町に行って女子が好きそうな男を選んで、更にもっと良く見えるように工夫もした」
ああ、だから眩しいほどの美形が現れたんだ。
「好みじゃないか?」
「目を合わせるのが怖いほどかっこいいです」
鉢屋君は満足そうに笑った。
しかし顔は赤いままだから、それが少し可愛いと思う。自分は無節操だろうか。
鉢屋君はキリリと顔を引き締めた。ああ、かっこいいとも。告白場面に外見を良くしてくることはとても有効に働くようだ。
「勘右衛門にまだ未練はあるか?」
真っすぐに問われる。
それが真剣だから、私も隠さずに答えたくなる。
「少しもないわけじゃない。勘右衛門の優しいところや、周りに合わせられる所は今でも尊敬してる。でも、もう恋ではないと、思う」
そう言うと鉢屋君は少し体から力を抜いた。
「まあ、未練があろうが無かろうが関係ないんだけど」
鉢屋君は強気だ。いや、たぶん強がっていると言う方が正しい。関係がないなんて思える人がいるなんて、私は信じられない。
鉢屋君が演技をすれば私に分かるはずもないんだけれど。
「私と付き合えば、未練があったとしても忘れさせるし、なかったらこれまで以上に楽しませてやれる。何も問題はない」
くさいセリフなのに、真剣に真っすぐ言われると心に染みる。
思われていることが今までなかった私は免疫が酷く低い。
だからこんなにも顔が熱いのだ。
「、私と付き合ってくれ」
その言葉に私は頷いた。
「うん、いいよ」
チラリと鉢屋君を見ると目を見開いていた。
それから段々と視線が泳ぎだす。
そして私に止まった。
「その、いいのか?」
「駄目なの?」
「いや、良いに決まってる。その、そんなに簡単に言ってもらえると思えなくてだな」
あ〜と鉢屋君は前髪を掻く。
面白い反応に、つい口元が緩む。
「その、なんで承諾してくれたとか、聞いてもいいか」
理由か。
「私は失恋したから他の人の恋が成就してもいいんじゃないかなって思ったから」
グッと前髪を押さえている鉢屋君を覗き込む。
鉢屋君は一歩後ろに下がった。
「そんな理由は嫌?」
そんな私に鉢屋君は苦笑する。
「嫌じゃない。大事なのは結果だ」
それに私も苦笑する。
人間関係において過程は大事だと思う。
「あとね、鉢屋君は良い人だって知ってるから、好きになれる可能性が高いと思う。だから、うん、そんなのなんだけど、こんな理由でも良いなら、私は鉢屋君と付き合うよ」
鉢屋君ははにかんだ。その表情につられてまた私は顔を熱くした。
顔が良い人はどんな表情をしても崩れないんだ。
「じゃ、これからよろしく」
スッと手を差し出される。
行動がまるで初めて会った人のようで面白い。
私はクスリと音をたてて笑うとその手に手を重ね、握手をした。
「こちらこそ、どうぞよろしく。楽しませてね」
「ああ」
ギュッと力強く握られた。
お互いに笑い合う。
付き合うなんて実感はまだないし、鉢屋君は今私の中で友達以外の何物でもないんだけれど、特別な存在になったのだと少しだけ心の奥で感じた。
私はあまり頭の良い方じゃないけれど、救いようがないほどではない。
だから、明らかに先に待ちうけるものは見えている。
決めたのは私だから、責任をとるのも私でなければならないのだ。
これがお昼の一連の出来事。
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