穴がぽっかりと開いている。

それを俺は上から見ず、下から見上げている。

久しぶりの光景だ。この狭い空間も懐かしい。

なんて浸っている場合じゃない。5年にもなって何落とし穴に落ちてんだろ。

これ掘ったの喜八郎かな。まあ、どうでもいいか、そんなこと。

この間降った雨はすでに乾いており、外よりも涼しい穴の中は、一人であれば不快でもない。

立ち上がって地面を蹴れば、楽に外に出られることは分かるので不安もない。

身長が低かったころは一生出られないのではないかと恐怖していたのに。

穴に落ちたのにが笑いながら顔を現すこともない。まあ、が掘った穴じゃないから当たり前かもしれないが。

ズルズルと背中からずり落ちれば、擦れて細かい泥の破片が下へ落ちる。

きっと背中は真っ黒だ。でもそんなことどうでもいい。

出ようと思えばいつでも出られるのだから、暫くここで一休みしよう。

最近はどうしても周りに気を使ってしまうから、気疲れしているに違いない。








はぁ、と自然にため息が出た。幸せが逃げる。

力が抜けたせいか、余計に体が重くなった気がした。

俺、何してんだろう。

胸がモヤモヤする。俺ってアホなの、馬鹿なの、間抜けなの?

イライラして、土の壁を足の裏で蹴る。ボロボロと破片が落ちる。

子どもの様な癇癪の起こし方に自己嫌悪して、余計に落ち込む。

自分が分からない。もう、何に悩めばいいか分からない。

下に向けた頭を膝で支えた両の手に乗せる。

何なんだ、この言いようもない胸にまとわりつく締め付けは。

取れてしまえば良いのに。どうして俺がこんな苦しい思いをしなきゃいけないんだ。

きゅっと強く目を瞑る。

真っ暗になった視界。しかしそこに浮かぶものがある。瞼の裏に移っている訳ではない。

自分の頭が映し出す記憶。

眩しいそれは、俺が求めているもの。


「・・・に、会いたいなぁ」


ポロリと零れた本音。それに勘右衛門は閉じていた目を見開いた。

自分の意識した行動ではなく、無意識の発言に衝撃を受ける。

片手で自分の口を覆う。それから、衝動的に自分の頭を強く押さえつけた。



俺、何言ってんだ?会いたい?に?俺が?

に、じゃなくて?

困惑と焦りと羞恥が頭を占拠し、様々な情報が溢れ出す。

何考えてるだ。に会いたいなんて。

少し前までは、怖がる対象だった。それから、強くて良い奴なんだって思って。その後は、少し変わったなって、思って、それで、今は・・・。



『朝早くここに来て、何してるんだ?』

『朝起きてすぐに一目恋人に会いたいんだよ』

『好き、なんじゃないかな?』



ふと、頭の中から記憶がよみがえる。

そう、朝、朝食の前に、三郎に朝早起きする理由を尋ねたんだ。そしたら八左ヱ門が答えて、一目、恋人、に会いたいからだって。

会いたいのは、好きだから?

こんなにも、に会いたいと思うのは、俺がを好きだから?

の笑顔が忘れられないのは、好きだから?

カッと、体に熱が籠る。掴んでいる二の腕を更に強く握りしめる。



『お前見てると「鈍感さは罪」ってのを実感させられるよ』

『少しはちゃんの気持ちが分かるかも』

『今まで、ごめんね』

『どうするのあんた!ちゃんが知らない男と付き合うって言ってるのよ!!』



会いたいのは、好きだから・・・?

・・・それは、誰にでもあてはまること?



(狙われてるのが俺だけだから)

(一年のころから俺ばっかり狙って)

は俺に会いに来たんだ)

『自分がしたことには責任を持つべきだと思わないか』

『友達になりたいと思って一生懸命頑張ってる子がいたら、友達になろうと思わない?』





『好きな人に近づきたかったんですよ!』





頭の中で、限りなく自分の都合の良い考えが組み立てられていく。

まさかと思う。だけれど、色々な要因が重なって、それがあまりにあてはまるから、本当のことのような気がして、自分の知らなかった世界に色が付く。

もしも、これが事実だったら。

俺の考えが正しければ。



が好きな人、って俺?



口元が緩みそうになるのを、上唇を噛んで凌いだ。

自分で思っている間は妄想でしかない。



『本人を目の前にしてその言い草はあんまりじゃないか?』



頭の奥で声がした。

それにすっと、頭の熱が冷める。



『私はこれからと付き合う』



ああ、ああ。そうだ、そうなんだ。

今の俺の気持ちがどうとか、そう言うことじゃない。

がもし、俺のことが好きだとしても、いや、好きだったとしても、今は三郎と付き合っている。

俺の、仲間の恋人なんだ。

忘れていたわけじゃない。ただ、自分のことしか考えていなかった。

俺は、やっぱりアホでバカで間抜けだ。

自分がどうすることもできない事実に項垂れる。

何も手放したくない臆病な自分は、今の事態を静観するしかないのだ。



砂の擦れる音が頭の上からした。

「あれ?」

聞き覚えがあるどころじゃない。

その声に、俺は首を素早く擡げた。

「ごめん、下級生が引っ掛かってるんだと思って」

苦笑するその顔が、申し訳なさそうなその声が、俺が求めているものだと知らせる。

近づきたい、その思いが反射的に浮かんで体が上に浮く。

しかし相手は俺から離れようと、覗きこんでいた上半身を持ち上げ、穴から見える部分が減る。

このままでは、行ってしまう。

!!!」

必死だ。大声をあげて、注意をこちらに向かせる。

そうしないといなくなってしまうから。

引き止める為なら。

「な、何?」

は戸惑う様にまた穴の中にいる俺を見下ろした。

「あ、足挫いて、手、かしてくれないか」




こんな卑怯な俺を、誰か許してくれるだろうか。



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