勘右衛門は壁側に立ち、三郎は勘右衛門に向き合うように縁近くまで間を開ける。

廊下の真ん中だが人気は少なく、割って通るような人間はいない。

三郎の表情は怒っていると言い難いが、真剣味を帯びていて相手を逃がすつもりはない。

無論、背を付けた勘右衛門は逃げるつもりなど毛頭ない。

「何をどう話したら良いのか分からないんだけど」

そう勘右衛門は話を切り出した。

三郎が知りたいのは何故足を捻ったなどという嘘を吐いたのか。

それを説明するためには、重大なことを先に話さなければならなかった。

「ごめん、三郎。俺、のことが好きだ」

ゆっくり言葉にしたそれは、確かに三郎に届いた。

眉間に一瞬皺が寄るが、三郎は極めて冷静に答える。

「そうか」

一言だけ。

普通の人間であれば、激怒するだろう。

怒鳴られて罵られて暴力に発展することもあるかもしれない。

勘右衛門もそうなると考えていたし、そういった状況に身構えていた。

だが、三郎は勘右衛門を冷めたまま見ただけだ。

「えっと」

予想外の反応に勘右衛門が戸惑う。反応が言われた側と言った側で逆だ。

「それで、続きは」

勘右衛門がここで止まるだろうと考えていた会話は続行されるらしい。

三郎に促され、今の状態に不気味な感覚を持ちながらも少し胸を張り堂々と話を再開させた。

「足を挫いたことにしたのは、と一緒にいたかった口実だ。俺が落ちていた穴を偶然が覗きこんだから、利用した」

それに三郎の口元が微かに歪んだ。

「偶然、か」

勘右衛門はそれに気付き訝しく思ったが、話を進めることにした。

「俺は嘘を吐いて、皆も騙した。卑怯なやり方だと思う」

三郎の何故足を捻ったなどという嘘を吐いたのかについてはこれで答えになっているはずだ。だが三郎に目立った反応がない。

次に何を話そうか思考を巡らせていた勘右衛門に、三郎が首を傾げる。

「それだけか、言いたいことは」

あまりに淡々とし過ぎている反応に勘右衛門の不安が煽られる。

予想外の状況に勘右衛門の頭は混乱し、情報を上手く整理できない。

内面で慌てふためく勘右衛門から三郎の視線が逸れ、地面に向き、表情が翳る。

勘右衛門の中で、この場で初めて三郎を傷つけたと言う考えが生まれた。

怒るや驚くなどの考えは浮かんでいたのに、傷つくと言うことには思い至らなかった。

殴られるぐらいなら構わなかった。

勘右衛門は自分が受ける傷のことだけを覚悟していたのだ。

相手に与えるものは頭の中から抜け落ちていた。

「三郎!」

勘右衛門は痛いと感じるほど拳を握りしめた。

「俺」

ガチリと歯を強く噛みしめる。

「俺・・・」

胸のざわつく感覚。それを抑えるように目を閉じる。

勘右衛門は三郎を傷つけたいわけじゃない。それでもを好きだと言ったことをなかったことにしたくなかった。

問題を起こしたのは自分だ。それならそれにきちんと向き合いたい。

心に決めて、勘右衛門は落ち着いて三郎を見た。

に言いたい」


逸らされていた三郎の視線が勘右衛門を見る。その目は鋭い。雷蔵の顔とは思えない表情だ。

それに少し怯んだものの、勘右衛門はまた一度拳を握り直した。

「ちゃんと伝えたい。俺、三郎のことも好きだ。仲間だと思ってる」

三郎の目が微かに広がった。

だが、その微かな反応に勘右衛門は気が付かなかった。

「自分勝手なことを言っているのは承知している。でも、仲間だって思ってるから、俺は本気で頑張ろうと思う。俺はにちゃんと告白したい」

勘右衛門はハッキリとした口調で告げた。三郎は体全体をきちんと勘右衛門に向けた。

「それを私に言うってことは、覚悟してるんだよな」

「殴られるくらいなら」

「そうか」

三郎は頷くと勘右衛門との距離を丁度良い物に整え、足を肩幅に開いた。片足が少し前に出る。

勘右衛門はこれから来るはずの衝撃に備え、歯を食いしばった。

二人の目が重なる。

三郎の腕が大きく後ろに引かれると勘右衛門の頬を目掛け勢いよく伸び、勘右衛門の頬を捉えると、硬い骨の感触が三郎の手に伝わった。

勘右衛門の体は後ろへのけ反り、壁に強く頭をぶつけ体もそれに倣う。

「いっ!」

どこを抑えたら良いのか分からない勘右衛門はとりあえず殴られた頬とぶつけた頭に手を添えてみた。頬が熱を帯びたように熱い。

「保健室に行けよ」

痛みで顔を歪めている勘右衛門に三郎はそう投げかけた。顔が少し笑っている。勘右衛門も頬を引きつらせて笑った。

だが三郎の表情はすぐに引き締まる。

「言う言わないはお前の自由だ」

勘右衛門の顔も真剣味を帯びる。微かに眉間に皺を寄せた。

それから三郎は一拍目を閉じた。

開けた目と眉の幅が狭まり、覚悟を決めたかのよう、見方を変えればまるで諦めるように口を開いた。

「決めるのは、だ」

響かせるような大声ではない。だが、三郎の声は振り絞るような声だった。

勘右衛門は頷かない。しかし三郎と勘右衛門はお互いに了解の意を交わした。

三郎は来た道を戻り始める。

勘右衛門は壁を伝ってズルズルと床に滑り落ちた。

殴られて痛みの引かない頬に手を当てて、微かに笑みがこぼれた。







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